たのむ

 

 

できれば、私の友達の悪口を言わないでほしい。嫌なところを言うのは百歩譲るから。どうしようもないことは言わないでほしい。

両親の悪口を言わないでほしい。私の半分と半分だから、私の悪口を言うのはいいから、直すし。根本的な否定をしてそれと似てると言って拒絶しないでほしい。

私が弱音を吐いた時、「おまえの立場じゃなくてよかった」というのは、もっとオブラートに包んでほしい。じゃなきゃ走って逃げてくれてもいい。

私が誰かの言葉に傷ついて怒ったり泣いたりしたとき、「気にするな」じゃなくて、無責任でいいから「そんなことないよ」「大丈夫だよ」って言ってほしい。

私が泣いたときはもう治まるまで泣かしといてほしい。明日からちゃんとするから。また泣くのを我慢するから。

ぐしゃぐしゃのままで放置しているのは次に進むまで触らないって決めたから、同じ時を共有していても、価値観は同じじゃないから思い出はまだ綺麗じゃない。

勝手に心配して勝手に安心しといてほしい。

喋んなくても、安心する距離でいてほしい。

私が寝付けなくても勝手に寝ててほしい。でも、たまには起きててほしい。

たまには私のことも認めてほしい。「がんばったね」って。

言いたいことは言うし、言いたくないことは言わないし、言えないことが何より多い。

ね、好きだったてこと いつか伝えさせてほしい。

 

 

2年2組22番

 

 

私は23番。

クラス替えって一人違うだけで残酷になったり、天国になったり。22番という数字に固執はしてないし、すべて2が揃うのがお似合いな友達が22番だったのでとてもよかったと思ってる。本当。

 

家を出て街を歩く。歩いている人はいないけど、接触しそうになる。向かってくる車と。

赤信号で横断歩道を渡るか渡らないか。青信号で横断歩道を渡るか渡らないか。選択は四つあるけど、大きく言って結果は二つ。生きるか死ぬか。青信号では死ぬ確率は低い。でも低いだけ。結果必ず生き残れるとは限らない。向かってくる車に跳ねられて死ぬかも。外にでるだけで ねぇ、ほら、家の中にいるより人生が良くも悪くも変わるチャンスが蔓延ってる。

外に出るか家のなかで引きこもるか、人生全て選択なのかもしれないけど、全部が全部選べるわけではない。置かれた環境、時代、周りの人間、与えられた才能、持って生まれた美しさとか病気とか。出席番号もクラスも、誰かに決められてきたでしょう。故意に選べないでしょ。

受験のひとつでもそう。毎年毎年が同じ倍率じゃない。流れ行く時の中で試験も変わってきている。どこで諦めるか、どこで受かるか、割りと自分の意思だけじゃ決められないような毎日じゃない?

だから、今、ここにいるのは運命だと思いながら過ごす。田舎の公立高校を受ける際に親に「私立(滑り止め)を受けるなんてお金の無駄。落ちたら家で家事してなさい」と言われた私からしてみれば、受かって本当によかった~!なんだけど、面白いでしょう。クラスのみんなは本命の学校に進むか、落ちて滑り止めかなんてなかなか心が揺らぐ不安定な受験。私は 落ちたら 家で 家事。中卒だからたぶん一生 家 で 家事 。揺らぐ受験なんてなくて まぁ 落ちたら落ちたで死ぬか、という不安定が安定する初めての受験をした。推薦で先に受かった友人に、「受かったよ~」って言ったら「大丈夫でしょ!」みたいな、当たり前でしょ!といったニュアンスの返事が返ってきた。

受験は信号みたいで、青になったからこっちに進んだ。みたいなところがある。友人からしてみれば、私がこの横断歩道を渡ることを当たり前として感じていたのである。青になるだろうって、これからも一緒に三年間過ごせるだろうって。よかったそんな風に思ってもらえて。そのあと三年仲良くしてもらえて。

自分が儲けた選択を信号に判断してもらう。私は生活のなかでたまにそれをする。あの信号が赤になったらドラックストアは行かないことにしよう、とか。目的地につくまで極力止まらないで進むみたいなルールを儲ける。まあ、今日はそんな運勢だよ みたいな気持ちで進む。

ただ、青信号でも時に事故が起こることを忘れてはいけない。安心してでも大事なことは目で見て耳で聞いて頭で考えて進めるのが吉。轢かれそうになる度に目を冷ます。しっかりしろって。

ほらほら、23番なりに楽しく過すんだ。置かれた場所でどんな選択が待ってる?とびきり面白い22番の子と仲良くなる大大大チャンスを中学の私は最大限に活かした。笑ったり泣いたり、次の年も前後だったけど、最高に楽しかった。

年をとるにつれてきっと選択の責任の重みは増していく。20歳の私にもまた自分の選んだ選択から神様に愛されて運命みたいな日々に向かっているのだと信じていたい。そのためにほら、今何しなきゃいけないか、考えて動くんだ。もう大人なんだから。

 

 

 

  

 一人で家で食べるときは餌みたいな雑なご飯を一応「いただきます」といって暴食するだけなので、さっぱり満たされないし、誰かと食事をしたほうが健康にも精神にも良いとは思うけど、人とご飯を食べるのが好きか問われると素直にうんと言えない。緊張するし。

 

食事って育ちがとても出る。

育ち、そだち、sodati

頭の良し悪しではなく育ち。ご飯を食べてるとき人は最も無防備らしい。生きていく上で必要なことだし、集中する。何かもぐもぐしたり味わっているときがすごく快感だと思うようになって焦っている。太る。というか太ってきてる。

たくさんあるマナーを教えてもらう場所は限られている。毎日続ける行為に躾を施すのは身近にいる人だろう。生きてきた過程で培われる育ちだ。躾が厳しいこと、外で恥をかかないための愛情なのだ。

肘をついて食べる。手を出さない。犬食い。お箸の持ち方。音を立てて食べる。他にもたくさんあるけれど、こんな単純なことでも出来る人は限られていると思う。

 

 

 

 

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私は3歳までちゃんと持ててたのにそれからこの持ち方にシフトして17年食事している。親が「3歳まではちゃんと持ててたのに」て嘆いている。

実家に帰ると妹の行儀の悪さにいらいらする。手を出さないし、箸を持つ手は肘付いてるし、食事は途中で投げ出すし。私は(父に散々「テーブルに手を出して食べなさい」って散々怒られたのに)と思いながら妹に「手を出して食べなさい」「肘をつかない」とぐちぐち言う。同じ親に育てられて同じ環境でご飯を食べて違和感を感じるとは。

この間 放送されていたりゅうちぇるさんの情熱大陸でりゅうちぇるさんが片手を出さないでお弁当を食べているとき、奥さんのぺこさんが「行儀悪いと思われるで」って注意していたのすごくよかった。妹はぺこさんが好きなので「気をつける」って言ってた。

人とご飯を食べるということは楽しい方がいいに決まっている。気にしないほうが勝ちなのかもしれないけど、不快感を与えず、なおかつ綺麗に食べるのが目標。

とりあえず、私、ハタチ、お箸の矯正に取り組みます!

 

 

 

 

 

 

ばいばい

 

 

自分の思っていることを口に出すことがこわかった。

ひとりで抱えていたことを初めて伝えた。

電話を切る前と話の途中の空白を思って、ようやく涙がとまらなくなって目から流れる涙があたたかいことに気づく。

過去と今と会わなかった二年間とこれから、を

そうだね、そうだね、ありがとう

私はあと一週間くらいめそめそするかもしれないけど、

しゃんと背筋を伸ばして生きるから

言えなかったけど、こころから思ってるよ 幸せになってね

さようなら

 

今週のお題「卒業」

 

 

 

出汁って何度でも「でじる」って読んじゃうな

 

 

ダシってちゃんと読もうな

 

 

 

小さい頃お世話になってた給食には本当はリッチな食事だったのだなあと最近になってしみじみ思う。中学生まで嫌いな食べ物が 野菜 だったため、副菜と汁物は小学一年生のときの担任の先生との「嫌いなものを一口だけ食べる」という約束だけを守って残してた。

正直、嫌いな食べ物は野菜だけではなくって、記憶がないくらい小さなころは赤と緑の食べ物を口にすることを拒絶していたらしく、父曰く、「目隠しをしたら食べてた」らしい。見た目だけで食わず嫌いをしていた。 本当に嫌いな食べ物ベスト9くらいはオエってしながら食べていた。なんであんなに嫌いな食べ物を飲み込む瞬間が苦しかったんだろう。厳しいお母さんの前で涙目で食べていた。本当にゴメンなさい。次第に食べられるものが増えてきて、頑張れば 意外といけるもんだなと思ったり たまに思わなかったり。ある程度大きくなってからうちのお母さんのご飯はとびきり美味しいことに気づいた。

 

 

食べれるようになった食べ物にも順番があって一抜けぴしたのはいちご と かぼちゃで、最近(好きではないけど)食べられるようになったのはトマトである。みんなの好きな野菜、嫌いな野菜ランキング ともに堂々の一位 tomato .

中でも最近の食べられるから好きに変わったのが 味噌汁 だ。小さいころは具が野菜なのと最後に残るつぶつぶが喉に引っ掛かりそうな気がして、野菜を食べた、頑張った。というわけわかんない理由でつぶつぶを残していた。皿洗いをする人間からしたら最悪だなと思い始めてからようやっと一気飲みするようになった。

一人暮らしを始めて大好きな友達と電話で「自炊をするか」という話題になったとき、「カレーとシチューと味噌汁のローテーションで生きている。おすすめは味噌汁!ほっこりするよ!」と言われ、ほっこりをくれる友人がほっこりを受給しているツールなら信頼度5000パーセントですわ と思って味噌汁を作って飲み始めた。卵かけご飯生活に+味噌汁。大変ほっこりする。満たされる。

しかし、お金のない貧乏学生は具がないことが多い。ちびちび飲んでは一息をつく。飲む要素しかねえと思っていたが、ここであの毛嫌いしていた味噌汁の最後に残るあのつぶつぶが唯一噛める 具 だと気づく。最後の一口だけをうんとよく噛んで舌の上で食感を楽しめる存在だと思うようになって最後に残るつぶつぶがようやっと好きになった。

 

 

 

 

学生 一人暮らし 仕送りなし で検索かけるのはもうやめようね

 

 

 

春休みが始まって2週間たった。

進学が決まった新入生の新居の希望を取り、不動産に電話をかける、仲介のバイトをした一週間。卒展に加え、学校の食堂がリニューアルされ、地域のニュースになり一般の人も入れるため、人だらけでうんざりだった。

雪も容赦なく降る。中学三年の時に買ってもらった安物のブーツの底が抜けて、半額で買ったプーマのスニーカーを履いて出かける。これが一番滑らない。ただ、高さがないから雪に埋もれたら冷たい。黄色だったからか、半額だった。こんな色の靴履いている人なかなかいなくて、足だけ誰よりもはやく春みたい。

 

4階の隅の教室で アパートの物件の紹介の紙が壁一面に貼られ、新入生とその親が紙とにらめっこしている。やはり、家賃は親が払うからか親の方が意気込んでいて、○万円以内で、インターネットも無料の部屋がお得なんですよね?と尋ねられる。だいたいは第一に金、その次に距離だ。しかし、安すぎても怪しいらしい。初日から暇だったので一緒にバイトしていた友人はおすすめ物件リストを作っていた。部屋が4万前後で追い炊きができて風呂トイレ別、2部屋くらいあって収納が多くてロフトがあってインターネットもタダで、大学から距離が近くて...。家賃を自分で払う、こどもが払うという家庭はいなくて、ここにいる新入生の親子全員と価値観なんて合わないんだろうなって気にしないようにしていた。

最終日、ついうっかり「おなかすいた」と口にだしてしまい、いつも最後だったのに一番最初に昼休憩で抜けられた。きっと誰も知らないし、人の顔を見ないようにして歩くのが常だった。学食へは向かわず、売店へ向かう。いつものパンが置いてなくてイライラする。早歩きでおにぎりコーナーへ向かおうとすると後ろから「すみちゃん?」と呼ばれた。振り返ると4ヶ月くらい会えなかった友人がいた。相変わらず細くって全体的に色素が薄かった。久々の再会に嬉しくてハグをした。

「顔見ないようにして歩いてるからさ、黄色い靴だなーと思って顔見たらすみちゃんだったの!」

人の顔を見ないで歩いている人間同士の奇跡の再会。新しくブーツ買ってなくてよかった!この友人は「君はバイトしてるのになんでお金がないんだい?」と直球できいてきた天然のツワモノだ。でも、訳を話すと「君はすごいな〜頑張ってるんだね、偉いな〜」って本当に驚いたように関心して頭を撫でてくれた。

(背が高い人間は頭を触られることに慣れていないので頭を触られるとすぐオチてしまうらしいですよ。背が高い彼を狙っている方は参考にしてみてください。私のこと狙っている人もどうぞどうぞ)

 

大抵の人はこんな風に認めてくれることなんてなくて、「すごいね」とは言ってくれるけど、たぶんみんなちょっと引いて、その後、関係ないようなしらっとした顔で生活してる。だから「生活費引き落としの口座残高1042円だった〜ぎゃははh」なんて言ったら普通に引かれるだろうなあ。ギリギリの生活をしている私にか、私の親にか。だから余計に嬉しくて、困ったときは助けたいと思うのかもしれない。この日から52%オフの春みたいな黄色いプーマのスニーカーを「幸せの靴」と呼ぶことにした。

春になったら友人がもどってくる。冬に負けないで歩き続ける。

 

 

券売機で一番端の

 

 

いつも乗り換えで降りるこの駅の街のことを何も知らない。難読駅

ジジイかババアか分からないロン毛の老人。妊婦かどうか分からないロングワンピースの女。寒いのに駅でバイバーイってドアを閉めずにずっとやってるカップルを睨むおじさん。席を譲らない中学生。譲ったところで拒否されるわたし。転んじゃった三歳くらいの男の子。抱き寄せる母親は注目の的。

電車に乗るとエモい。このド田舎を眺めていると本当に何もない事が分かる。田舎には何もないなんて間違ってると言われても、閉塞された空間に何か価値を見出だす才能が私にはない。自然がいっぱいでも、自然がいっぱいなところにしか住まなかったら自然の多さなんて分からない。ありがたみとか知らない。田舎ゆえにバスの本数が少なすぎるこの街では、土日の最終バスが15時、平日の最終バスが19時。逃したら十キロ歩く。そのくせ街頭が少なすぎるし、歩道は整備されていない。

人数が少ないからと行っても学校では先生の目なんか行き届かない。田舎の学校は逃げ場がない。リーダーがいたら皆、表向きそれに従って水面下ではもがき苦しみながら生きていくしかない。人が少なすぎるから誰にも見つからないなんてことはない。グループが複数合って誰もが無関心ならよかったのに、小さな小さな世界は誰も頼らない信じられない。毎日の通学路は何かから逃げ出すチャンスなんじゃないかと思いながらも、電柱を数えながらあと何本で右に曲がって犬に吠えられて、遅刻しそうな私たち兄弟のことなんか分かんない交通安全のおじちゃんたちが帰った後の横断歩道を渡って学校へ行く。保健室登校のあの子を除いて誰よりも遅く席に着くのが小学生のころの日課だった。

電車が好きだったような気がする。電車通学憧れだったな。見える風景が変わってきた。あの何もないところに戻る未来を考えるとまたいつ死んでもいいような毎日がくるのかな。

毎日を生かしてくれたのはなんだっけ