あたたかいココアに浸かってとけて死にたい

 

もう秋じゃん

 

ひとりで部屋にいる。部屋で絵の具で絵を描いたり、お腹が痛くてうずくまったり、こうしてブログを書いたり、スマホを見て虚無の時間を過ごしていたらすっかり秋になっている。午後になったらバイトへ行く。毎日そう疲れた。

昨日は海の方で花火大会で、友人が彼氏と浴衣を着て見に行くと楽しそうにしていた。下駄を買ったり、浴衣の写真を送られてきたりした。全部丁寧に返信したつもり疲れた。

バイトが終わって、自転車でアパートへ向かうと小さくトンと音が聞こえた。立ち漕ぎしながら振り返ると遠くの方で花火が上がっている。荷物を一通りおいてひとりで近くの川の橋を登って遠くで打ち上げられる小さな花火を見た。大学四年目にして始めてみた打ち上げ花火だった。まわりは家族連れで打ち上がるたんびに子どもたちが「たーまやー!」と叫んでいた。やっと、やっと見れたと嬉しくなって写真を撮った。カメラ越しの花火はより小さく映った。妹にラインで報告をした。

「花火ちっちゃ」「大学生になってやっと初めて花火を見たよ 今まで何していたんだろうねお姉ちゃん あ、バイトか(涙で前が見えない)」と送ると、「しょうがないよ大学の勉強もあったんだし お母さんが「やっとわかってきたか」って言ってるよ」と返信があった。

赤い花火が私の視界でちょっと揺らいだ。毎日がそう 私はひとりでいることにも、誰かといることにも疲れてる

これからひとりで強く強く頑丈にならなきゃだね あんな風に最後は綺麗に散りたい ね

 

 

 

大人になっても

 

 

長縄跳びのことを考えながら炎天下の中、補講期間と呼ばれる今日も学校へ向かった。

アパートから学校までは坂、上り坂。ドンキで買ったけど小さくてはけないからと譲ってもらった黒いスニーカーの底が薄いのか坂を半分も登っていないところでとても熱くなる。

今日は長縄跳びについて考えながら登校した。

 

八の字に走り、跳んでいく長縄跳び。私の小学6年生の頃の担任の先生は、長縄跳びに力を入れていた。ひとつ上の先輩たちを越えよう!と一年前受け持っていた先生のクラスの最大跳んだ回数を伝えられ、体育の時間に一分間に跳んだ最高記録だけが黒板に更新されていく。

正直、運動全般が苦手だ。走るのはクラスで二番目に遅かったし、泳ぐのも母親が心配して25m泳げるようになろう!みたいな三ヶ月限定のスイミングスクールに通わせてくれて、やっと人並みに泳ぐことができた。

長縄跳びは冬の間だけ行われていた。先生と一人の生徒が縄を回して残りの生徒が走って縄の中に飛び込んでいく。田舎の小学校だったので同級生が10人。縄を廻す生徒が抜けて9人。テレビで見る同い年くらいの小学生は30人くらいの生徒が自分の番を待って縄を跳んでいたが、私たちはたったの9人。誰かが休めばそれ以下で、ほぼ一分間走り続けながら縄の中に飛び込んでいく。

上手く跳べるかな、ひっかからないかな、後ろの子に、前の子に迷惑をかけてないかな、私の体に縄がまとわりつかないかな、跳びながらいくつもの失敗を予想して緊張していた。ストイックに記録を更新し続ける日々にドキドキしていた。運動音痴だが、廻す方にはいかなかった。保健室登校気味だった胸の大きい子か、もう一人回したいと立候補する男子に任せていた。

誰かが失敗すると安心した。あ、これで最高記録は更新されないなって、私がひっかかっても私だけが責められるわけじゃないもんなって思った。

誰かが失敗するまではドキドキしながら、でもちゃんと跳んでいた。みんなと同じように前の子にくっついてって見えない縄の音と一緒に跳んで抜ける。緊張感でお腹がキリキリし、息も切れ切れだったけど、はみ出すことなくリズムにのることができた。

 

 

人生って長縄跳びみたいだなってふと思った。一緒に成長していく過程の横にいる人間と同じように進学したり、就職したり。高校に無事入って卒業して、来年の3月には大学を卒業し、4月から働く。私は大きな目で見るとあんまり引っ掛かることなく過ごしてきている。別にそれが立派なことではない。もっと高く、速いスピードを設定すれば、ひっかかってしまったかもしれないが、自分にあった/もしくはレベルの低いところをぬるぬる生きているだけかもしれない。

細かなとこではたくさん躓いている。化学で赤点とったり、バイトが上手くいかなかったり、親に反抗したり、失恋したり、運転免許を持っているが自分の運転で酔ったり、一人で夜泣いたり。

大事なことはたぶん、躓かないでみんなと同じように跳ぶことじゃない。

躓いたときにどうやってそれを乗り越えるかだ。そしてその本質として問題をどうみるか、どう解決するかの視野を広く持たなければいけない。跳び越えるためにどうしたらいいか、その解決方法を分かっていれば問題はないけれど、間違っているとき、分からないとき、きっと努力だけでは埋まらないときがある。そういうとき、周りの人間に聞いてみる。正解を知っているかは分からないけど、自分が見えなかった解き方を知っているかもしれない。周りの声を鵜呑みにしなくてもいい。選択と決断をして行動するのは自分だから。ただ独りよがりにならない方がずっといい。自分を別の角度から見てくれるそんな人がいるといい。これはある程度いるけど、わざわざ伝えてくれる人はいないから自分から聞きにいかなければいけない。ただ自分のことを話して話に焦点を当てながら慎重にね。

正しい方向に努力すればきっと跳べるから。頑張っているところを見てくれる人はいると思うから。腐らずにね、もう少しだよ。跳んだ先にはあんまり変わった世界はないけれど、それはきっと自信に変わっているからね。

失敗して諦めても生きてね。その失敗の努力はいつかまた別の縄を跳ぶための解き方になるからね。

 

 

幼稚園の時、走り縄跳びできなくて、私だけ回すフリしながら運動会でて、お母さん泣いたそうです。本当にごめんなさい。

縄跳びずっとずっと苦手だな。たぶん生きてくのもずっとずっと人より練習するか、ハードルさげてやってくしかないんだろうけど、ひとつひとつ積み重ねて人生だからね。リズムにのるんじゃなくて自分のリズムを生きていこうね

自分よりダメな人を見て安心する

 

 

というよりかは、自転車盗まれちゃって、バイトの行き帰りに時間がかかってつらいけど、去年の今ごろは泣きながらバイトから帰ってきてて、このあと玄関で蹲って一時間泣いてたんだもんな~それより今ずっと幸せ!って思う。

人の幸せは人それぞれだし、私のものさしはちっぽけだもの。

 

就活決まらないし、自転車盗まれて移動手段全部徒歩になったけどまあまあ元気です。

ブログを書くときって自分で思っていることを書き出すと整理できるから悩みがあるときとか、ふとした感傷とかを見る人がいると仮定して文章に書き起こしてあとで自分で見るためにとって置いているようなもの。私にとって。まあまあ元気だったっていうのと、忙しかったのとアナログでたくさん「読まれるために書く」ということをしていたらブログの更新が無になってたね。

 

どんな五月を過ごしてた?

私はね、中学校へ行って教育実習をした。母校だったけど、地震で校舎が建て変わり、ピカピカの小中一貫校になっていた。あのときからいた先生もチラホラ見えたけど、みんな確実に歳をとって私が大人になったからそう見えるのか、先生たちがそう変わったのか分からないけど、先生たちそれぞれの変化が見えた。「適当だな」「怒るんだな」「丸くなったなぁ」「太ったな」「眼鏡になったな」「毛が薄くなったな」

 

中学生ってどんなだろ。年にして言えば7.8.9歳下。妹のひとつ下。教育実習って一緒の学校に何人か実習生がいて情報共有をするらしいけど、田舎すぎて他に教育実習生がいなかったから妹から事前に話を聞き出した。さすがクラスで一軍にいそうな顔しているだけあって情報がえぐかった。社会の先生が太ってて「給食食べた後なのに耐えられなくてトイレで吉野屋の牛丼食べてるって噂流れているらしいよ」って絶対嘘じゃんて思うバカみたいな話を聞いて、その先生を前にしたら想像しちゃって笑いをこらえるのに必死で最低だった。

実際のところ、中学三年生は家にいる妹より大人びて見えるし、たぶんこの子たちも家にいればもっと子どもなのかもしれない。中学一年生はほぼ小学生でわあわあ喋るからえへえへ聞いていた。絶対嘘じゃんと思う噂に笑いをこらえるのに必死になるあたり私もまだこっち側なんだな…と思った。でもたぶん中学生のころだったら笑ってなかったような気もする。

私が中学生の頃より給食費が一食あたり100円くらい値上がりしたらしく、しかも今回支払うのは自分だったので「ごちそうさまでした」の後も貪欲に全部食べきることを頑張った。一週間遅れで小学校に教育実習しにきた同級生の友達と給食とか道徳とか部活とかで盛り上がったのが面白かった。

「今日の給食さ、チーズ入ってるのにめっちゃびっくりした!」「分かる!大豆製品かと思った!進化してて感動した!」って21歳で給食の話をさ、当時も仲良かった友達と話せるなんて幸せなことなかなかないと思うよ。100円の値上がりもこの思い出が買えたと思うと安い。

美術の授業を見学して、中学生が手を鉛筆で擦れて真っ黒にしていて「汚ねー!」って男子同士で言っていてそれに対して「頑張った証拠だよ!」って叫び返していていいねと思ってにこにこした。別の学年の帰りの会で話をした。「汚れや怪我や傷を汚いだけじゃなくて頑張った証拠って捉えられる見方って素敵だなって思いました」って言った。

帰りの会で「今日の反省」をぽつり、ぽつりとその日一日あったこととそれに対して思ったことを話した。言いたいことが伝わっただろうか、あの言葉を入れたかったけど忘れてしまったとかたくさん反省しながら、緊張しながら話をした。中学三年生は大人びて反応が見えない。でも、私が一生懸命話をしているのに対して背筋を伸ばしてこちらをじっと見て聞こうとしていることはとてもよく分かった。

最後に寄せ書きをもらったときに「先生の帰りの会のお話面白かったです」「先生の帰りの会の○の話忘れません」と書かれていて、どんな風に、かは分からないけど目に見えるようにちゃんと聞いていてくれたことだけはよく分かった。最後の帰りの会でエールを送られて、校歌を歌ってもらった。一緒に歌った。合唱をする機会って大人にはないなぁって思いながら、でも私やっぱり音痴だしなって笑った。

なんとなく距離は遠くて近くはなれなかったけど、この距離のまま私はあのクラス、あの学校が中学生の時とは全く別の意味で大好きだと思った。そんな二週間を過ごしたよ。

君の五月はどんなだった?

ラーメンとお寿司

 

 ラーメンとお寿司が好きじゃない。

概念的として存在が苦手だ。食べられるし、味が嫌いというわけではない。うにといくらは味が好きじゃないし、しょっぱすぎるラーメンも食べ物の「好き」と「嫌い」に表せる不快な方の嫌いな部類に入るけれど、ネタをなんにしろ、味をなんにしろ、ラーメンとお寿司が好きじゃない。

小学校高学年の一時期、よく外食に行く機会があった。毎回ラーメンかお寿司だった。その頃は好きとか嫌いだとか、何とも思わず家族について行って、でも、私の家は貧乏だから、という先入観から遠慮して一番安いラーメンを頼んだりしてた。値段が見えてしまうことが負荷だったのかもしれない。お母さんがつくるご飯にはメニューのようにおよそ一食にいくらかかるだとか、そういうのがないから安心して食べられたのに、家族五人分の外食を4000円弱だとしても、子どものおこづかいと比べたら大金だし、誕生日にしか買ってもらえないポケモンのゲームソフトの値段と同じで、それが頭の中で繋がって、メニューを見るときに罪悪感が伴った。

弟はお寿司が好きでよく食べた。私の倍くらいよく食べて、食べ過ぎて帰宅後吐いてた。吐いたことに対してだけうわあと思った。黙っていたけど、そんなのを横目に見てからも外食へ行く週末が続き、車の中で「何食べたい?」と明るく問いかけてくる親にふと口をついて言ってしまった。

「ラーメンとお寿司が嫌い」

たぶん、行きたくないだけだったのが一周してこうなったのである。小学生の私は上手く外食が嫌だと言えなかったのである。後部座席に座る私は前の席に座る親に「ラーメンとお寿司が嫌いなんてありえない」と言われ、ひかれた。「お前がそんなこと言うせいで行きづらくなった」と言いながらも、私以外のみんなが好きなラーメンかお寿司屋さんへと車は向かうのだった。

ふと口をついて出た言葉が「なんとなく」居心地の悪い外食だっただけなのが、決定打となり、ラーメンとお寿司に抱いていた不快感が私の中で好きじゃない存在であるということを明確にした。

 

 たいていの人はラーメンとお寿司が好きだ。

「週3で寿司行った」と誇らしげに言う友人。好きな回転寿司のお店の名前を言い合う友人。「回らないお寿司しか行ったことがない」と言う友人。そのどれもに「どうでもいい」と「羨ましい」という感情が同居した。なんの屈託もなく「お寿司が好き」という当たり前を所持している様子に羨ましいと思った。

こんなことを素直に言ってはいけないのだと「ありえない人間」として拒絶されてしまうのだと子どもの時に理解して、ラーメンにもお寿司にも何も障害がないフリをして生きている。

友達とご飯に行くときラーメンでもお寿司でも提案されれば「いいよ行こう」と言う。二郎系のラーメン以外はまだ断ったことはない。

私は、ラーメンやお寿司にお金を払っていると思わない。食費じゃなくて、これは友達とご飯を食べるために交際費を支払っているのだ。居場所と同じ空間にいて同じものを食べる寂しさを埋める行為に「いただきます」「ごちそうさまでした」と言う。

よくラーメンを一緒に食べに行く友人に「あなたの誕生日においしいお寿司屋さん行こうって言ったの覚えてる?」と聞かれ、そんなこと言われたっけ?と同時にあぁ、ごめんなさいと思う。私がそこに彼女と同じ価値を置いていないことを彼女が知ったらもうたぶん誘ってもらえないような気がする。今までの一緒に食事をした時間分悲しませるだろう。彼女には墓場でも言わないつもりでいる。そのお寿司はやんわり断った。逆なら全然行く。彼女が生まれたお祝いに彼女の好きなお寿司を私がお金を払って一緒に食べる時間を過ごす。このベクトルが反対になってそのお寿司の美味しさに私がお寿司を好きになったらハッピーだけど、そうならなかったら虚しい。

みんなの顔と合わせるのだ。気付かれないように「おいしい」といいながら口へ運んでいく麺、チャーシュー、スープ、餃子、エビ、えび、エビ、わさび、メンマ、海苔。私と、ラーメンとお寿司が好きな全人類との壁をつくるそんな存在であるラーメンとお寿司。外食する際に私は道化して嫌いな存在にお金を払う。一生嫌いかもしれない憎きラーメンと寿司。

 

好きなネタ、強いていうなら味と食感とフォルムでエビ。

 

 

いかがお過ごしですか

 

GWはずっと早起きしてアルバイトをしていた。五月は多忙 超多忙。明日も八時半からバイトだ。バイト着が2着しかないので洗濯機を回すために無理矢理するべき洗濯物を探して一緒に回す。問題は乾かないということ。カーテンのところに一着、ロフトの柵に一着ずつ黒いシャツが干されてこの部屋はもう支配されたみたいに感じる。私のGWがアルバイトに支配されたように

 

 窓が明るくなって課題が終わらずとも、ゴールデンウィークの終わりが告げられている。生きがいにしよ!と思っていた朝ドラが一週間まるまる見れなくても案外未練はなくて、でもまあ今日見たら全然ついていけなくなってて「えー!なんでそうなったんだ!?!?」と一人で盛り上がるんだろうなあ

 

友達とリメンバーミーを見に行った。正直ノリ気じゃなかったけどちょっと泣いた。本当はもっと泣きそうだったんだけど、私の両脇の女の人がすごく泣くのでその状況に笑えてきてしまった。私のこういうところ、よくないと思う。片方は誘ってきた友達でメロンソーダで二回トイレに行ったのに私より泣いていた。一人でいるのと人といる環境と、何が違うのかというとたぶん自分と心の距離で、一人だったら心が自分のなかにあって、周りに人がいると心がちょっと遠くにある。人によってその距離はまちまちだけど、感情が遠くにあった方が安心する。でも、この遠くにある感情をすごく揺さぶってくれる人と近くに置いても平気な人が本当は好きな人たちなんだと思う。はたまためちゃくちゃ嫌いな人。好きと嫌いは紙一重ってそういうこと?いや、うーんどうだろう…

リメンバーミーは心の距離を好きという意味で近くに置ける人と見てほしい映画です。私は映画館を思い出して笑ってしまうと思うので家族に見せても真面目には見なくなっちゃいそうだなぁと思いました。

 

お薬みたいな人たち

 

 

良心 vs 良心(情 vs ルール)の戦いをした。アルバイト中、頭の中で三時間くらいの戦いの末、ルールが勝った。情が勝っても、ルールが守られていないことがバレたときにかかる負担と迷惑の大きさ、悪いことをしてない人が困るという現状が嫌だなと思ったのでルールが勝った。

なんだか小学生の時に読んだ道徳の主人公みたいな気持ちになった。

どうしたらいいんだろうと、一人で考えた時、誰かに聞いてほしいと思った。この立場になったら、どうするのが普通?どうしたらなるべくみんなが傷つかなくてすむ?脳内で会議をする。抱える問題の登場人物から学校の人はなし。システムを理解してくれて、読解力と良心がある人…を頭の中で検索したときに、ふたり頭に浮かぶ。

ふたりとも、もちろん頭がいい。詳しく伝えればたぶんざっくりでもシステムを分かってくれると思う。でも、私が文面だけで伝えられるだろうか?こっちの方が心配になってきた。

脳内で架空のふたりに相談した。

ふたりなら私の「あなただったらどうする?」という質問に対して答えてくれたあと、「すみちゃんはどう思ったの?どうしたいの?」と聞く。困って何も見えてない私の目線を合わせて聞いてくれる。向くべき方向を言語化させるために私は…と考える。伝えると、そこにアドバイスをくれる。そこから何かを拾って話をするする進めていく。気が紛れて気づくと楽になってる。

でも、そんなふたりがすぐ側にいるわけじゃない。たぶん暇じゃない。そしたら、

「すみちゃんはどう思ったの?」と自分に問う。何度も何度も頭のなかであっちに行ったりこっちに行ったりしていたが、ふたりの顔を思い浮かべて、言葉にしようていく過程で答えはすぐでた。ふたりが私と同じ選択をするかは解らないけど、私はふたりの前でこんな人間でいたいと思う方向へ行くことにした。

偉い人に全部チクった。大丈夫、私は悪いことをしてない。彼女にとって不都合なことをしてしまっているかもしれないけど、お金が積もって大変な思いをするのも彼女だし。大丈夫だから

どきどきしながら話をしたら笑われた。「報告ありがとう」と彼女が悪いことをしているのではなく、私を騙そうとしているだけなのでは、という可能性を示してくれた。そこにびっくりした。けど、私が騙されているだけであと全部おっけーならそれでいい、それがいいと思った。そこに知らないフリしとけばいい方が気持ちが軽い。笑ってもらえて、私は吐き出せて、そんな可能性を示してもらえてずいぶん軽くなった。

ふたりは「あなたなら大丈夫」と言う。私はふたりがいるから大丈夫になったよ。と晴れやかな心でアルバイト先に携帯を忘れて自転車をこぎ、アパートへ帰った。家について速やかにまたバイト先へぬくい風に吹かれながらもどった。

 

しあわせなのかもしれない

 

東京に住んでいる大好きな友達が保育士さんをやめた。夢を追いかけて、東京に残るため、保育士さんをしながら就職活動をしていた。高校時代「子ども嫌い」を唱えていた彼女は最初は手を焼きながらも、だんだん保育園の先生になっていった。頭突きされ、メガネを破られ、首を絞められ、親の前ではいい子にしているような3歳児がいるとか、電話を通して1,2ヶ月ごとに5時間くらい駄弁って聞いていた。子どもゆえの残虐性を知っているからこそ、「子ども嫌い」を唱えていたのだと思う。でも、次第に子どもと打ち解けていくようになったみたいだ。

「男の子は乱暴だけど、女の子は優しい」「乱暴な男の子もいるけど、おっとりした男の子もいる」「やっちゃダメだよ!そんなことされたらどう思うの?って注意した」「2歳児に「おいで!」って言われて一緒にトイレにいったんだけど、おかしくて笑っちゃった」とだんだん楽しそうに保育園について話をするようになった。言葉使いの端々に保育園の先生が滲んでいた。「就職ダメだったら地元で保育士をやろうかなあ」という変貌ぶりだった。大好きな友達のことを私はさらに大好きになった。

その友達が今春、就職が決まって保育士をやめた。夢に近づけたのだ。そんな彼女の元に就活がてら会いに行った。彼女の住む駅で待ち合わせて松屋でご飯を食べた。松屋でおっさんに囲まれながら「働き始めてまだ2週間目だけど、保育士大変すぎてこんなに楽でいいのか...ってなってる」と言いながらも、なんだか元気がなさそうだった。疲れているところにおしかけちゃったなというのもあったけど、他にも新しい環境での心配事がたくさんある話をしてくれた。「元気ない」と言う彼女に「なんか疲れているな〜って感じたよ」と伝えると「え?気づいちゃった?」と笑う。この日初の笑いっぽかった。

彼女の部屋に泊めてさせてもらった。「あっこれ見て!」と保育園でお世話になった先生方からのお手紙を見せてくれた。「わたし、もう一回退職した気分!」と言う彼女に一年で大げさなと笑いながら言った。彼女がお風呂に入っている間読ませてもらった。あたたかな応援と去る彼女に対する「またね」が綴られていた。保育園の先生方の優しさにじんわりしながら彼女に手紙を返す。

「わたしね、保育園をやめる時に頑張っていれば誰かしら見ててくれるんだって分かった。だから新しい職場でも頑張ろうと思う」わたしじゃない方向に向かって、宣言している。たぶんこうして自分に何度も言い聞かせたのだ。「保育園に戻りたくなっちゃう」とも笑いながら言っていた。彼女なりに前に進むために過去を見つめている。ふにゃふにゃしてて、でもしっかりしてる。面白いこと、本当のこと、大好きなこと、赤裸々な話、彼女の見方、彼女の取り巻く環境から生きてきた背景、全部ひっくるめて現在の彼女が大好きだし彼女のことを尊敬している。彼女の言葉を吸収したり、反射して考える。

 

頑張っていること、何かあるかなと、心のなかで自分に問いかけた。いかんせん現在テキトーに就活をしている。就活でも問われる機会の多い「学生時代力を入れて頑張ったことは何か」「学業以外で頑張ったことは何か」。履歴書には畳に関するプロジェクトに参加していたと書いているが、本当に正直に言うと、わたしは、自分の生活を支えることをいちばん頑張っている。

実家に学費と携帯代を持ってもらう以外に仕送りが一万円という金銭面は一年の頃から変わらないが、いつしか、奨学金に手を出さなくなり、家賃・光熱費・食費・制作費・その他全部なんとか低賃金な田舎のアルバイトでやっている。去年の居酒屋のアルバイトが上手くできなくなって、泣きながら深夜に帰ってきて玄関で2時間蹲っていたり、泣きながらシャワーを浴びて考えすぎて過呼吸を起こしていた。よく消えたいと思った、ここにいない方がいいと思った。泣いている間、誰の顔も浮かばなかった。涙で冷たい枕に溺れていた。誰かのせいにしたいけど、これはわたしの主観でしかないから辛いことを言って否定されるのがただ怖かった。否定されなくても「やめちゃいなよ」とか「気にするなよ」とかそんな言葉で片付けられたくもなかった。そんなバイト先で一ヶ月3.5万くらいしかもらえなくて、全てに焦っていた。自分で自分をどうにか立たせて守ってやりたいけど、バイト先で認めてもらって時給が増えることを願っていたけど、掌の皮が剥けて、ご飯を食べるのに支障が出るくらい夜は食いしばって寝たり、泣いて眠れなかったり、五里霧中だった。

紙に目標を書こうにも、何も変われなかったし、他の人は怒られなくてもわたしが怒られることはあって、あれが、これが、どうして私が、と思うとだんだん自分が腐っていった。

学校の普段関わらない就職の支援の人にきっかけがあり、すべて話して「そこで認めてもらうように努力するのはいいけど、他のことで能力を伸ばしてもいいんじゃない」と言われて納得ができた。納得したかった。私がダメだという理由以外に私が諦めていい理由が欲しかった。

 2ヶ月後やっとの思いで辞めた。あんなにつらく、苦しい思いをしたけど、自分のことが嫌いになっただけで何も得られなかった。何かを得られるまで頑張れなかった。やめることだけ告げたら親に「メンタル弱すぎ」と言われ、笑った。あらゆる原因やそのときどう思ってどうなったのかを私の親は聞かないし、私も話すことをしない。笑ってごまかす。どうでもいい話をして気を逸らす。

マネージャーには「頑張って欲しかったわ」と言われた。「すみません」と言う。この人がメガネでよかったな。レンズを挟んでしか目が合わないことに距離を感じて安心している。

やめる2週間前くらいに最後にシフトが被ったアルバイトの方から「お世話になりました」という旨のラインが来てボコボコだった私が救われた。私は自分のことで手いっぱいだったのに感謝されて返す言葉が少しも見当たらなくて時間をかけて返信した。情けなさと嬉しさが混じって恥ずかしかったけど、あれからずっとその文章の中にあった「あなたなら大丈夫」と「よければ話聞くよ」に救われて生きている。

私はこの話をハッピーエンドとして話すことができず、就活には全然活かせてない。けど、彼女に言われた「頑張っていれば誰かが見てくれている」の言葉からこのことを思い出して私にとって頑張ったことと誰かが見てくれているの誰かの顔が明確に思い浮かんで「うん、そうだね」と彼女の言葉に頷く。

人が人に与える影響によって丸くなったり、尖ったり、形を作っていく。何かを変えたくて一人で走るよりも、いろいろな人と関わって触れて考えて選んで削れて付け足して今の私がここにいる。

あなたに出会えてよかったと心から思える今の私でよかった。