しぬまでいっしょう

 

 

自分が追いかけているものが確かなのかどうか分からなくて不安不安。不明瞭で足元が見えなくてこっちに進んでいいんだっけ?と毎日。何がしたかったのか分からなくなりそう。とりあえず、目の前のことだけこなしている。みんなも将来何になるか決めてないから、と思っているのかただ単に口に出すのが怖いのか。私はたぶんこわい方で、一人にしゃべったらあらゆるところまで広まっていくことに怯えている。自分がどこで気が変わるか分からないのに他人に解られているのがこわい。訳のわからない肯定はいらない。

一生懸命になれることが全部手から溢れ落ちて、夢中になれることがない。何もしてないと怖くて少しずつ手を伸ばす。あらゆるバイトギター刺繍検定編み物映画ラジオどれも満足にできてないまま部屋が少しずつ狭くなっていく。高校は部活と人間関係と恋と、続けようと思えば続くものを諦めている。楽器はお金がかかるし、私みたいなのが友人の隣にいつまで居座っていいのかと思ってしまう。時々どうしても手放したくない人にだけ連絡する。恋 好きだった人みんな死んだ。殺した。だって今ごろ彼女と幸せに暮らしてる。私が毎年、初詣で「好きな人が幸せでありますように」とお祈りしてたから、世界平和と受験と家庭平和と平行して祈ってたから。ここにいないのはここじゃないところに好きだった人の幸せがあったからだと思う。

生まれ変わったら空気洗浄機になりたいと高校一年生のときに思った。人が快適にすごせるような空気をきれいにできるなんて素敵じゃないかと思った空気も読めないくせに。今は炊飯器がいいかな、白米で満たされてるのは羨ましい。

吐き気がするほど嫌われてるんじゃないかと勝手に思う。あんまりしゃべったことがないのにね、嫌いだ、嫌いだ、嫌いだと言われて肯定するべきか否定すべきか、生きてるだけでお金がかかる。おやつを買ってもお肉を買っても、友達とご飯を食べても映画を見ても罪悪感がつきまとう。「節約が好きなのね」そうじゃないそうじゃないんだ。

誰かの上にたつのが嫌いで、ずっと四歳児くらいで成長がとまっていればいいのにな、なんて思うけど「国民年金」の封筒が届いた。今月から払う義務があるようで、なんだか損をした気分。一日生まれの人と三十日も離れているのに、同じ月に払って退職する日は私の方が遅いなんて理不尽だと思う。でも、退職するころには全部悟りを開いてるかとっくに死んでるか働いてなさそうだな。気が遠くなるな、もうすぐ二十歳だ。何もできないまま、年だけとってく。父親は来年私が生まれているのに、私は誰かと両思いになったことすらない。若くて汚い子供のままだ。ラインを既読することとネットショッピングに未だに怯えてるのにな。

 

下を見ながら前に進んでる。

時々後ろを振り返ってもいいから前を向いて転ばないように歩こ。まえにすすめ