券売機で一番端の

 

 

いつも乗り換えで降りるこの駅の街のことを何も知らない。難読駅

ジジイかババアか分からないロン毛の老人。妊婦かどうか分からないロングワンピースの女。寒いのに駅でバイバーイってドアを閉めずにずっとやってるカップルを睨むおじさん。席を譲らない中学生。譲ったところで拒否されるわたし。転んじゃった三歳くらいの男の子。抱き寄せる母親は注目の的。

電車に乗るとエモい。このド田舎を眺めていると本当に何もない事が分かる。田舎には何もないなんて間違ってると言われても、閉塞された空間に何か価値を見出だす才能が私にはない。自然がいっぱいでも、自然がいっぱいなところにしか住まなかったら自然の多さなんて分からない。ありがたみとか知らない。田舎ゆえにバスの本数が少なすぎるこの街では、土日の最終バスが15時、平日の最終バスが19時。逃したら十キロ歩く。そのくせ街頭が少なすぎるし、歩道は整備されていない。

人数が少ないからと行っても学校では先生の目なんか行き届かない。田舎の学校は逃げ場がない。リーダーがいたら皆、表向きそれに従って水面下ではもがき苦しみながら生きていくしかない。人が少なすぎるから誰にも見つからないなんてことはない。グループが複数合って誰もが無関心ならよかったのに、小さな小さな世界は誰も頼らない信じられない。毎日の通学路は何かから逃げ出すチャンスなんじゃないかと思いながらも、電柱を数えながらあと何本で右に曲がって犬に吠えられて、遅刻しそうな私たち兄弟のことなんか分かんない交通安全のおじちゃんたちが帰った後の横断歩道を渡って学校へ行く。保健室登校のあの子を除いて誰よりも遅く席に着くのが小学生のころの日課だった。

電車が好きだったような気がする。電車通学憧れだったな。見える風景が変わってきた。あの何もないところに戻る未来を考えるとまたいつ死んでもいいような毎日がくるのかな。

毎日を生かしてくれたのはなんだっけ