愛し愛されて生きなければ地球は丸くならない

 

とんがってる。トゲトゲである。もう、それはそれは鋭くて 私が四面楚歌だったからもう周りにも優しくなんてできなくて四方八方 殺傷能力がすごい。

そんな日もある。

 

 

幼稚園から高校生の間に一人で自立して社会で生きていくための「生きる力」を身につけるんだって。そのためにいじめとか、これからのグローバル社会に向けて色々やっていかなきゃいけないんだって。

 

ねえ、なんで人をいじめちゃいけないのか 知ってる?

いじめられたらどんな気持ちかな いじめっこはださくないかな 見逃したら他の子はどんな気持ちかな なぜいじめなきゃいけなくて いじめられなきゃいけないのかなあ 強いものが弱いものを守れたらいいのに、攻撃する模範があるでしょう。

正義って何

だれも「いじめ」をなくす方法が分からない。なんで「いじめをしてはいけないか」分からない。大人になってもそうでしょう。名前を変えて生活の中にはびこっているでしょう。「モラハラ」「セクハラ」「パワハラ」「ドメスティックバイオレンス」「ブラック企業」嫌じゃないの、大人のみなさん。オリンピックしてる頃には日本は明るい?

 

 ね

  ほら、ちゃんと見なきゃ。

とっても最近、学習指導要領が改訂された。新聞には「不登校児への配慮について初めて明記された」と書かれていた。日本はタブーを表に出して問題として取り上げるのがアホみたいに遅い。タブーをタブーと思うからか。悪いことに指をさしてはっきり悪いと言えないし、できれば関わりたくないんだろう。でもさ、不登校児ここ二、三年の話じゃないだろ。物事を慎み深くオブラートに包んでいる場合ではない。福岡駅前が陥没したとき、さっそうと直してこれが日本の力だと言えるのならもっとできることがあるだろ、いい加減にしろ。

国語、算数、理科、社会、英語の他にももっと大切なことがあるでしょう。大人になっても「いじめ」を「いじめ」と判断できないなんておかしいよ。それをやるなんておかしいよ。学校って何を学ぶために行ってんの。「生きる力」とかふざけている場合じゃない。どうしようもなくなったときに「ほんの少し頑張る理由を見つける」とか「問題を発見して解決するまでの方法」とか「大好きな人がいなくなったら」とか「生まれてきたときの祝福」とか「それぞれの価値観を認め合う」とか「愛し愛されるための技」とか「もう無理なときに倒れるところ」とか「男と女の取り扱い」とか「孤独を愛する術」とかなんで肝心なところはさっぱり教えてくれないんだろう。

分からない人が多いから「自殺」しちゃったり、「殺し」ちゃったり、「戦争」をするんだ。

私は情緒が大好きだ。音楽や美術などの芸術って娯楽だけど、本や映画や漫画や歌が本当に大切なことを教えてくれていると信じている。学校に先生なんてさあ、いないんだよ。教育学部だかなんだか知らないけれど、ずっと学校なんて閉鎖されたところにしかいなかった人が世間なんて知るはずないよ。一回外出て学んできなよ。低所得者の働きとかブラック企業とか 学校にしか行っていない先生が何を教えるというの。小・中・高校の先生に中指立てながら私は生きる。

ちゃんと問題を受信して世界をチューニングし直そう。こんなトゲトゲの地球でうまく呼吸ができるようになんかなる前に