私が眠るまで起きててね

 

 

小さい頃よく言ってた。寝付きがわるいくせにひとりで夜を過ごせないから眠るまで起きててほしかった。

ひとりっこだったとき、私は両親に挟まれて寝てた。そのときも寝付きがわるくて、足をジタバタさせていて両親に片足ずつ挟まれて眠っていた。あんしんしていた

弟が生まれて、母親の隣ではなくなった。妹が生まれて更に母親が遠くなった。5人家族になってどんなに布団を敷く順番が変わっても母親の隣になることはもうなかった。弟、母、妹の順のどっちか端に私、父と続くのだった。

 

小学四年生のとき、ど田舎へ転校生がやってきた。男子六人、女子二人の中に女の子が一人増えた。

中学二年生になったとき、後輩ができた。黒縁眼鏡の目がきゅるっとした小学校一緒だった女の子。軽率に嘘をつく子だった。あんま好きじゃなかった。

 

わたしはずっと自分より「下」「後」が生まれることが本当に恐怖だ 今も。親も友達も先生もみんな、私のことなんか見なくなる。

母の隣は弟のものに、先輩はより下の後輩と練習。女子が三人になって喧嘩したら一対一だったのが二対一になって必ず一人だった。

孤独が浮き彫りになる。今も昔も自分の場所を確立するので精一杯だ。

 

高校二年生になったときも後輩ができた。すごくクラリネットが上手な子が私の後輩になるのかと思った。どうしようと思っていたが、一年生の楽器担当を決める偉い人たちがその子をユーフォニアムに配属して、私の後ろには緊張しいの人見知りの激しい初心者の女の子がついてきた。

その子とは目が合わない。口もあんまり聞けない。三年生に散々教えてもらっているのに緊張しすぎて基礎合奏で先生に当てられると音がだせない。先生がイライラして更に音がでない。そんな風に二ヶ月くらい過ごしているのを横で見ていた。三つ子とはいえ、どうやって生きてきたんだろう 喋らなくても意思の疎通ができるのだろうか。でも、兄弟だけで世界は完結しないでしょうに。なんてぼんやり思ってた。

ある日、夏の大会で三年生が引退することに気づいた。分かっていたけど あ、やばい このままじゃ一人になるやっと気づいて焦った。このまま三年生が教えてきたことができないことが今度は私の責任になる。だから、傍観者をやめて話しかけた。ビシバシ教えた。アドバイスしただけじゃ自主練しないから外へ連れ出して一緒に練習した。音がでるまで待った。一緒に吹いた。先生にも「怒られると更に緊張しますよ」って言った。同級生の憐れみの目なんか気にしなかった。自分のために、この子を変えてみせる それだけだった。

二年間、正直めんどくさい先輩だったと思う。何回か(意図せずに)泣かせたし、私も一回泣いた。「後悔してません」と言ったら私は「めちゃくちゃ後悔してそれをバネに来年こそ県大会へ行ってほしい」と言った。嫌な先輩だな~

それでも、たくさん一緒に路頭に迷ったのだ。慣れないことをたくさんした。後輩に自分からなんて話しかけないし、教えるのも苦手だ。だけど、教える立場になって気づくことがある。

「リードミスはいい音を出そうとしていることだよ もうちょっと!がんばれ」って本当かどうか今になって分かんないけど、あれは私に自信をつけさせるための言葉だったんだなってやっと気づいた。諦めずに吹き続けて音がでるようになった。二個上の先輩が本当に大好きだったし、今も尊敬している。

私たちが卒業するときに、一年生と二年生だけで「ウルトラソウル」を演奏してくれた。みんなが笑いながら彼女に「本当に成長したね!」と言う。「よかったねぇ」と思う。もうひとりで大丈夫だね 後輩ができたら教えられるね 先生も困らないね 笑いながら部活に来れるね 本当によかった

君ができるまで一緒にいたよ

わたしが眠るまで一緒に起きててね