しあわせなのかもしれない

 

東京に住んでいる大好きな友達が保育士さんをやめた。夢を追いかけて、東京に残るため、保育士さんをしながら就職活動をしていた。高校時代「子ども嫌い」を唱えていた彼女は最初は手を焼きながらも、だんだん保育園の先生になっていった。頭突きされ、メガネを破られ、首を絞められ、親の前ではいい子にしているような3歳児がいるとか、電話を通して1,2ヶ月ごとに5時間くらい駄弁って聞いていた。子どもゆえの残虐性を知っているからこそ、「子ども嫌い」を唱えていたのだと思う。でも、次第に子どもと打ち解けていくようになったみたいだ。

「男の子は乱暴だけど、女の子は優しい」「乱暴な男の子もいるけど、おっとりした男の子もいる」「やっちゃダメだよ!そんなことされたらどう思うの?って注意した」「2歳児に「おいで!」って言われて一緒にトイレにいったんだけど、おかしくて笑っちゃった」とだんだん楽しそうに保育園について話をするようになった。言葉使いの端々に保育園の先生が滲んでいた。「就職ダメだったら地元で保育士をやろうかなあ」という変貌ぶりだった。大好きな友達のことを私はさらに大好きになった。

その友達が今春、就職が決まって保育士をやめた。夢に近づけたのだ。そんな彼女の元に就活がてら会いに行った。彼女の住む駅で待ち合わせて松屋でご飯を食べた。松屋でおっさんに囲まれながら「働き始めてまだ2週間目だけど、保育士大変すぎてこんなに楽でいいのか...ってなってる」と言いながらも、なんだか元気がなさそうだった。疲れているところにおしかけちゃったなというのもあったけど、他にも新しい環境での心配事がたくさんある話をしてくれた。「元気ない」と言う彼女に「なんか疲れているな〜って感じたよ」と伝えると「え?気づいちゃった?」と笑う。この日初の笑いっぽかった。

彼女の部屋に泊めてさせてもらった。「あっこれ見て!」と保育園でお世話になった先生方からのお手紙を見せてくれた。「わたし、もう一回退職した気分!」と言う彼女に一年で大げさなと笑いながら言った。彼女がお風呂に入っている間読ませてもらった。あたたかな応援と去る彼女に対する「またね」が綴られていた。保育園の先生方の優しさにじんわりしながら彼女に手紙を返す。

「わたしね、保育園をやめる時に頑張っていれば誰かしら見ててくれるんだって分かった。だから新しい職場でも頑張ろうと思う」わたしじゃない方向に向かって、宣言している。たぶんこうして自分に何度も言い聞かせたのだ。「保育園に戻りたくなっちゃう」とも笑いながら言っていた。彼女なりに前に進むために過去を見つめている。ふにゃふにゃしてて、でもしっかりしてる。面白いこと、本当のこと、大好きなこと、赤裸々な話、彼女の見方、彼女の取り巻く環境から生きてきた背景、全部ひっくるめて現在の彼女が大好きだし彼女のことを尊敬している。彼女の言葉を吸収したり、反射して考える。

 

頑張っていること、何かあるかなと、心のなかで自分に問いかけた。いかんせん現在テキトーに就活をしている。就活でも問われる機会の多い「学生時代力を入れて頑張ったことは何か」「学業以外で頑張ったことは何か」。履歴書には畳に関するプロジェクトに参加していたと書いているが、本当に正直に言うと、わたしは、自分の生活を支えることをいちばん頑張っている。

実家に学費と携帯代を持ってもらう以外に仕送りが一万円という金銭面は一年の頃から変わらないが、いつしか、奨学金に手を出さなくなり、家賃・光熱費・食費・制作費・その他全部なんとか低賃金な田舎のアルバイトでやっている。去年の居酒屋のアルバイトが上手くできなくなって、泣きながら深夜に帰ってきて玄関で2時間蹲っていたり、泣きながらシャワーを浴びて考えすぎて過呼吸を起こしていた。よく消えたいと思った、ここにいない方がいいと思った。泣いている間、誰の顔も浮かばなかった。涙で冷たい枕に溺れていた。誰かのせいにしたいけど、これはわたしの主観でしかないから辛いことを言って否定されるのがただ怖かった。否定されなくても「やめちゃいなよ」とか「気にするなよ」とかそんな言葉で片付けられたくもなかった。そんなバイト先で一ヶ月3.5万くらいしかもらえなくて、全てに焦っていた。自分で自分をどうにか立たせて守ってやりたいけど、バイト先で認めてもらって時給が増えることを願っていたけど、掌の皮が剥けて、ご飯を食べるのに支障が出るくらい夜は食いしばって寝たり、泣いて眠れなかったり、五里霧中だった。

紙に目標を書こうにも、何も変われなかったし、他の人は怒られなくてもわたしが怒られることはあって、あれが、これが、どうして私が、と思うとだんだん自分が腐っていった。

学校の普段関わらない就職の支援の人にきっかけがあり、すべて話して「そこで認めてもらうように努力するのはいいけど、他のことで能力を伸ばしてもいいんじゃない」と言われて納得ができた。納得したかった。私がダメだという理由以外に私が諦めていい理由が欲しかった。

 2ヶ月後やっとの思いで辞めた。あんなにつらく、苦しい思いをしたけど、自分のことが嫌いになっただけで何も得られなかった。何かを得られるまで頑張れなかった。やめることだけ告げたら親に「メンタル弱すぎ」と言われ、笑った。あらゆる原因やそのときどう思ってどうなったのかを私の親は聞かないし、私も話すことをしない。笑ってごまかす。どうでもいい話をして気を逸らす。

マネージャーには「頑張って欲しかったわ」と言われた。「すみません」と言う。この人がメガネでよかったな。レンズを挟んでしか目が合わないことに距離を感じて安心している。

やめる2週間前くらいに最後にシフトが被ったアルバイトの方から「お世話になりました」という旨のラインが来てボコボコだった私が救われた。私は自分のことで手いっぱいだったのに感謝されて返す言葉が少しも見当たらなくて時間をかけて返信した。情けなさと嬉しさが混じって恥ずかしかったけど、あれからずっとその文章の中にあった「あなたなら大丈夫」と「よければ話聞くよ」に救われて生きている。

私はこの話をハッピーエンドとして話すことができず、就活には全然活かせてない。けど、彼女に言われた「頑張っていれば誰かが見てくれている」の言葉からこのことを思い出して私にとって頑張ったことと誰かが見てくれているの誰かの顔が明確に思い浮かんで「うん、そうだね」と彼女の言葉に頷く。

人が人に与える影響によって丸くなったり、尖ったり、形を作っていく。何かを変えたくて一人で走るよりも、いろいろな人と関わって触れて考えて選んで削れて付け足して今の私がここにいる。

あなたに出会えてよかったと心から思える今の私でよかった。