平凡でつまらない

 

断捨離をした。心にドライモンスターを飼って4時間くらい、整理するたび、使わないのにずっと生き残っていたものを、小中学生の時のプリクラとか、お気に入りだった色あせてしまったワンピースとか、自分が作った作品とか、一生懸命メモしたプリントとか捨てた。このプリントに多いに時間を取られてしまってジャンプ4冊分くらい捨てることになった。時間の割に部屋の景観はあまり変わらなかった。プリントに火を着けて部屋丸ごと燃やしてしまえばよかったのに。

 

次の日、オフハウスに服と履かないハイヒール、小学生の時に買ってもらった1500円くらいのバックを売りに行った。使わなくなったものにちゃんと思い出があって、忘れられなくて捨てられないけど、きっともうそれもいらないものだから、大丈夫。レジで精算をする時に、品物を並べられてざっくり説明されてもうこの品物を見せないでくれよと願って紙袋に入れたのにな、と思いながら「お願いします」と230円受け取った。

珈琲屋さんに行って友達にあげたいと思う猫の皿を買った。ラッピング待ちに飲んでいたコーヒーがブラックでも美味しく飲めて自分にびっくりした。

映画を観に行った。前後左右誰もいない席を選んで予告を見ながらふと、一生ひとりだったらどうしようと不安に駆られた。どうするんだろう。来年も再来年もこれから向こう10年30年ずっとずっとひとりでクリスマスや誕生日を繰り返して今日みたいに誰とも話を交えることがなかったら、イベントごとがあるたびに、自分がひとりだということにまざまざと気づかされる。来年こそ、と去年も誓ったような気がする。若いのにもったないと思う。でもはやく死にたい。

映画を観て、音楽ってやっぱり素敵だなと思ったし、誰かと一緒に作れる強さが欲しいと思った。主人公が騙されて間違っていると、近くで心配して正しい方向へと導くヒロインがいて、命の限りを知りながら主人公は正しい方向へと歩き出す。死ぬまで音楽をする。死んでから評価された音楽。

 

幸せになりたいと思う。

でも、私の幸せってなに? 

自分の幸せは自分で作らなければいけない。恋人ができたらとか、友達がいたらとか、家族がいたらとかそういう問題ではない。誰かがいるからこそ感じる幸せもあるが、誰かに私のことを幸せにしてもらおうなんて思わない。私のしあわせってなに?

 

授業で大学のいいところと改善すべき点を紙に書いて生徒同士でシェアした。いいところの方に「近くにあるものを大事にする」と書いたら発言力のある女子にハートで囲ってもらえた。近くにあるものを大事にする。自分で書いておいて私にとって近くにある大事なものってなんなんだろうと思った。

 

喧嘩別れというか、私が拒絶した友達の誕生日の朝、誕生日おめでとうと連絡する夢を見た。みただけ。

 

断捨離をした際に今回も捨てられなかった落書きノート、あそこには5年くらい前の私が何かに感化されて描いたものばかりが詰まっていて、私は私が描いたあの幼稚で拙い絵が好きで、色あせても誰に見せることもないのにまた手元に残しておいた。友達のプレゼントを買う時に、こんな雑貨屋に昔は本当にわくわくしたのになあと思った。私は今、何に退屈しているんだろう。

 

一生懸命作っている卒業制作のプレゼンがダメダメすぎて怒られた。私自身が、私の作品の良いところを分かっていないと、そんな卒制との距離の取り方じゃダメだ」と言われトイレで泣いてしまった。審査が通った際に総評で名前を呼ばれ、先生方に褒めていただけたそのときも泣き崩れてしまいたかった。誰かに寄りかかりたいと思ったけど、あの同じ場で評価された人たちに私の温度で何かを伝えても、何もこれっぽっちも伝わらない。だからまた、奥の方へしまいこんだ。そのあと一週間はすごく寝た。自分のゼミに対してなんだかずっとぼんやりとしていた諦めが色濃くはっきりとついてしまった。そんな日だった。

 一生懸命やれば何か結果が付いてくる。それは中学や高校の部活、バイトで学んだことだけど、一生懸命やって結果がついてきて尚、納得がいっていない。まだまだ手を伸ばさなければいけない。

寂しいという感情がだんだん薄くなっていく。なにか大切なものを奥にしまいこんで心に層をかけて蓋をして傷くのを恐れて鈍くなって知らない間に大人になっていくのかななんて考えている。

2018年が終わる。執着とか夢とか希望とか何も思い浮かばない。思い残すことなんて今はない。やばい。何かを思い浮かべなければ、あとは腐っていくだけ。やばいやばい。来年のしいたけ占いをチェック。したついでに2018下半期も見ると、少し腑抜けになっていい、普通の幸せを手に入れていく。と、でも12月は攻めろと書いてあった。どっちやねんと思いながら、クリスマスで1キロ太ったし、明日から攻める。