ひっかかるもの

 

 

長くブログを書いていなかった。誰かに見せるものとしてではなく、誰かに見せないものとして日記をつけていた。大人になると一年が早く感じる。それは、一日のことを子どものように細かく覚えていないからだとテレビで見て一日一日を振り替えるようにしてみた。細かなニュアンスとかはあまりなくおおざっぱに書き連ねている。そもそも大人が一年がとても早く感じるということは、例えば10歳の子どもにとってその子の一年は1/10で、私にとって1/22で百歳のおばあちゃんにとっちゃ1/100なのだから早く感じるのは仕方がないのではといった友達の理論が納得がいっていちばん好きだ。時間は誰彼に平等ではない。

 

卒業制作が終わりに差し掛かり、展示に向け忙しい日々を過ごしていた。ずっとズルズル続くように思っていた制作物が一度区切りを告げ、ありがたいことに賞をいただいた。親や親戚や他の学科の友達や地元の友達や先生やバイト先の偉い人とかが見にきてくれた。私が制作した物の隣にある「賞」の文字を見ては「賞をとったんだ すごいね」と誉めてくれた。同じ学科の子らには「おめでとう」と祝われた。同じ賞をとった人たちとだけ「わ~~~」とはしゃいだ。ずっと自分がどんな顔をしているのか分からなかった。

制作したものは発達障害に関する本で、先生からも賞に入りやすいと言われていたテーマだった。こんなことを言ってしまうと「最後なのだから」と意気込んで賞を狙っていた人たちに申し訳ないが、賞に入りたいわけではなかった。

 

自己救済のための制作だった。発達障害に興味を持ったのは、他の人と比べたときに自分にだけ「できない」という劣等感を味わったときにその理由が分からなくて、どうして私は違うのかを知りたくて、発達障害精神障害HSPアダルトチルドレンなど人間の特性についてネットに張りついて答えを探していたその中のひとつだった。誰にも言うことも聞くこともできなかった。絶対に泣いて目の前の相手を困らせてしまう、拒絶されたらどうしようと毎晩泣いて暗い部屋でブルーライトを浴び続けた。

LD.ADHD.HSPどれも当てはまるような気がした。アダルトチルドレンが一番しっくりきたけど、分かったところでどうしたらいいか分からなかった。自分自身が変わることを願って環境を変えた。

そんな中から発達障害を選んでテーマにした。その気がある症状が私にもあると思えて距離を保って取り組めそうだったからだ。発達障害という言葉は本の中には出さずに、こんな特性を持った子どもがいたらどうするといいだろう?とヒントになるように本を作った。他者と違うことで孤立したり拒絶されたくないという自分自身の願いと、症状を持つ人の「障害」を問題視するのではなく、それに出会った人、自身がどう対応するか、関わるかが課題であるということを伝えたかった。

制作中何度も立ち止まった。本やネットで勉強したが、間違っていないか、誰かを傷つけないか、伝わるだろうか、これは面白いのだろうか、正しいだろうか。一番近くにいた先生が興味がなさそうに見えた。いっそう自信がなくなっていった。立ち止まっていても時間は残酷に進んでいく。立ち止まった分寝るのを削って手を動かす。

全体でのプレゼンで自信のなさと人前で話すことが苦手なこと、何を話すべきかさえ分かっていない自分が漏れた。他の先生から「そんな距離で卒制と付き合っちゃだめだ」と言われ、バレたと思った。奥歯を噛み締めて喉を痛めて堪えた後、トイレで泣いた。

ずっとその気持ちを引きずったまま、一ヶ月後に完成させた。時間がこなければ一生完成させないような気がした。不器用なのに自分で製本した。一生懸命つくりましたと言わんばかりの出来映えになった。間違ってはいないけれど。

 

そんなドロドロの感情の末に時間がきたからできてしまった制作物が賞をとったのだ。様々な可能性を考えた。各ゼミに一人は必ず賞を与えるルールがあるとか、あの無様なプレゼンを全員の前で見られた私を肯定させるための賞なのかとか、プレゼンのときに怒ってきた先生が「いい本をつくっているのに、お前よりもこの本をよりよくプレゼンできるよ」と、他の生徒の前でいい作品かどうかを一切言っていないのに、(自分達で上手いこと言っているのだから当たり前だ)発言力を持った大人に言わせてしまったから他の先生たちも影響されたのだろうかとか。

結局、納得がいってないまま、「賞」という分かりやすい評価をいただき、周りから誉められ祝われることに違和感を感じて仕方がないのだ。たとえ賞をいただいていなくても、誉めてくれた人たちは同じように読んで誉めてくれるだろうか。「よく分かんなかった」と印を押されないだろうか。「あなたらしい」と言ってくれる人たちはどのあたりで私らしさを感じたのだろうか。こんな情けないこと、また誰にも言えないところにしか私は私だと思えない。

「賞」という分かりやすい評価がなければ、細部を見てくれただろうか。肩書きとかじゃなくて、名前もないような幸せがいいとかバカなことを考えたりした。

あの怒られたプレゼンさえも「賞」への戦略だと、どうにか開き直って毎日を過ごして記憶を淡くしている。でも、この葛藤も忘れませんようにと、ここに書き留めておく。

時間が経って客観的に見られるようになった自分が私を認められる日がくることを祈って。