バイトなんか行かないで

 

 

 

ってしぬまでに言ってみたい。」って言ったら「メンヘラ…」って言われた。全然行っていいし、私なりに可愛くなるよう冗談ぽく笑いながら言うので…

 

実家に「最近春休みはじまった」みたいな連絡をしたけど、本当は一ヶ月以上前から春休みで、帰るタイミングが分からなくなってる。なんか、それぞれ人生の分かれ目にいてそこに私の居場所をどう見いだしていいか分からない。

はっはっは

 

私が生まれた時の父親と同じ歳なのに人と両思いになったことないことに危機感を覚える。

ずっと男が苦手で怖かった。物心つく前から父親と祖父以外になつかなかったらしい。更に、小学校ではボスみたいな女に「男子と話すな」と言われ、男子には持ち物を触る(A君の机を動かす程度)と汚いものに触れられたみたいに手でピッピッと払われた。中学から怪しげな不審者に3年に一度声をかけられるし、田舎特有の「男子と話す女子=ビッチ」みたいなのが嫌であんまり話さなかった。ビッチと噂されるような子とは普通に仲良くしてた。高校のとき好きな人はいたけど、同年代の男子が苦手なまま、そんなこんなで大学へやってまいりました。

年をとるにつれて徐々に男が少なくなる環境に身を置きつつも、克服(普通に話せるように)できたのはバイトだった。シフトがだいたい二人でバイトは四人。うち男女半々だったので、必然的に話さなくてはいけない環境になる。世の中には男か女しかいないんだ…いつまでもビビってられない…と思うのと同時に、気さくで優しい人たちだったので、嫌がられない!ここにいてもいいのかもしれない…と思えるようになり、そこのコミュニティ以外でも普通に話せるようになった。まあ、バイトは店長に目をつけられてここにいない方がいいのかもしれない…と思ってやめちゃったんだけど。

 

「彼氏できた?」って聞くお父さん、いつも返す「できてないよ」は本当だけど、いつまでも男が苦手で嫌いで奥手だから私に彼氏ができないんじゃないと思うんだ。

困ったとき、誰に頼ったらいいのかが分からなくてバイトが終わって泣きながら帰ってくる誰にも悩み相談ができない自分がいた。こないだ「ラインの返事いつもしなくてごめん」て連絡くれた友達に「気にしてないからいいよ」って言ったけど、どこかで友達に対して諦めて冷めてる自分がいた。友達が「泣きながら親に電話した」って話をする度、自分をさらに後ろから俯瞰する感覚になる自分がいる。もうずっと泣くときに誰かを思い浮かべることがない。そうして、誰にも期待してない自分がいることに気がついた。人に期待していない、信用していないから友達や恋人みたいな深い絆を感じられるような関係がつくれない。

それを悲しく思うのと同時にこれが楽だと思っている自分もいてこわい。一人暮らしは最高。遅く帰ってきても、何を食べても誰にもなんにも言われない自由最高。

ラブソングを聞くたび、私にこんな感覚を歌える感覚がないということに、とてもがっかりする。星野源aiko大塚愛も好きだけど本当は分かんない。分からない。解れない。

人があたたかいということになかなか気づけない毎日に生かされて、ふとした瞬間に寄りかかられると震えそうになる。物理的にも、心理的にも私はずっと独りな気がしている。

「奥手」だから彼氏ができないなら、よかったのになぁ。美人な友達とふたりでヘアピンおそろいで買って「彼氏できるよ」と囁かれる。彼女の言葉はいつも魔法みたいだ。

無双八つ当たりモードで全員しねってどんな音楽も漫画も全然入ってこない日がある。いつか、あれやこれが思い浮かばなくなって、思考がとまって何も作れなくなる日がくるのかなぁ。

本物のメンヘラだから誰にも愛されやしないや。食べることばかりでなんだか薄暗い日々に鮮やかな服が欲しいな。

 

ピンクのネイルでも買いに行こうかな

 

 

今週のお題「ホワイトデー」

 

 

男がすべてじゃない。女がすべてじゃない

 

 

でもこの世には男と女しかいない

 

 

私が男だったら、とか、あなたが女だったら、とか男だったら、とかもうやめようよ。

違う未来があるような気がするのは分かるけど、この関係は性別込みの関係でしかない。私が女で、あなたが今ある性で築いてきた関係だよ。男だったらたぶん、こんなに話しかけてないし、こんなに優しくされて喜んでないし、女だから雑に扱われたりするんでしょ。関係を続けたいなら性別とか関係なく、機嫌とか分かるけど、私のことを丁寧に大切にしてくれ

 

 

女であるが故に降ってくる虚しさと不幸の数々みんなしね

 

恋心で高校を決めた

 

不謹慎である

 

 

でも、たぶんきっとそう。志望していたところが定員あふれて、友達が進路を変えて、じゃあ、私もそっちに行こうかなって思った誘惑の中に彼がいたと思う。

「この人ともう少し一緒にいたい」って心のどこかで思っていたと思う。当時そんなにはっきりした自覚はなかっただろうし、自分で簿かしていたと思う。

元々志望していたところより偏差値はあがって勉強して受かって。三年間彼を見届けた。一年の早々に他校に彼女つくってるの知ってて目でずっと追いかけていた。

恋愛にだけ目を向けるとそんな高校生活だ。

 

やりたいことがない。ずっとずっと今だけが目の前にあってそこしか見えない。だからそんな高校の選び方をした。自分の頭で行けるところは限られていたけど、田舎の学校、偏差値なんて竹の子の背比べで、とりあえず公立の中から選んだ。滑り止めも受けずに

 

反対に大学を決めるのは早かった。早くに決めろと言われていたこと、「普通科の高校生なんて就職できない」と言われて(絶対そんなことない)進学が当たり前かのような気がしていたし、見ている世界も狭かったからとりあえず、住んでいるところから通えそうなところが見つからなかったので東北で調べて素敵だな、ここなら入れるかなと思って受験した。

もちろん、オープンキャンパスに行って受験時に提出しなければならないものを持っていき、アドバイスを受けて作り直して面接した。本当に早々に決まった。行きたいと思った大学も、進路先も高三の夏の終わりくらいには「本当に?」と思いながら全部決まっていた。

 

そして今、就職活動。選ぶ権利をふるった上で、御社にふるいにかけられる。御社ともっといたいと感じられる所、早く見つけて猛アタックしていきたい。

 

と思うのと同時に誰とも両思いになったことないのに、私、どうなっちゃうの〜〜?

とりあえず、ラブレターとしてESと履歴書書こう。斜陽を読んだので、そんな感じのラブレター書いてこう。

 

 

 

 

 

好きなら態度で示してよ

 

ほら、みんなで抱き合おう

 

 

言葉ってとても便利だけどさ、「いつでも頼ってね」というなら私の返信をちゃんと見てね

「好き」と言われなくても、好かれているなと思わせてくれる人。物をくれるとか、「大事だ」「大切だ」「お前のために」とかじゃなくて、ちゃんと見ててくれて、話を聞いて、覚えていてくれたらそんなこと言われるよりずっとあなたを信じていられるのにな

「寒い」に「あったかくして」、「おなかすいた」に「食べて」じゃなくて、もっと目線を合わせて話をしよう。私の場合はこう。あなたの場合はどう?一緒だねって笑ってくれてありがとう

クラスの人の名前をちゃんとなぞって覚える。私の名前は覚えてもらえなくても、悲しくなんてならない。覚えてもらえない私が悲しいのではなくて、覚えられないあなたたちが寂しいだけ

「私と一緒にいてたのしい?」って質問が既に楽しくない。私と一緒にいても、苦しくならないように できるだけ頑張るから嫌わないで。

「お前、いつも媚売ってるよな」は そうなのかもしれない。

「一緒にいると落ち着く」は こんな私でよければ、たまに落ち着きに来てください。そばに置いといてください。

人に頼ることが苦手だからナプキンをだいたい持ち歩いているけど、よく「ナプキン持ってない?」って頼られる。「はいどうぞ」「ありがとう」を繰り返していたら、いざというとき、自分の手元にナプキンはない。誰にも頼れないでいる私をいつかみつけてたすけてほしいです。私はナプキン屋さんじゃない、女の子を助けたいけれども、自分をどう助けたらいいのか分からない。

 

10時間30分780円で働きました。抱きしめてください 。今日もお疲れさまでした

「ブスなんてこの世にいないよ」

 

「きりこはブスである。」

 

この一文から始まる西加奈子さんの「きりこについて」をご存知だろうか。

https://www.amazon.co.jp/きりこについて-角川文庫-西-加奈子/dp/4043944810

 

この本の1ページめを開くときりこがどうしようもないブスだということが力説されている。数回繰り返し出てくる「ブス」という2文字が太く強調されている。読むこちらのブスもちょっと怯むなかなかの冒頭だ。「恥の多い生涯を送って来ました。」並みに強烈に覚えている。

そんな本を高3の時、奨学金の手続きをするためのパソコンに入力する会に持って行った私が大馬鹿だった。入力に手こずり、最後まで残ってしまった私の横に奨学金担当現代社会の先生がやってきた。私の手元にあった小説を手に取り、音読し始めた。

「きりこはブスである。」

しかも上手にちゃんと「ブス」を強調して。

「ブス」の「ス」に力を込めて、目を細めて。冒頭からなんども出てくる「ブス」の単語だけが私のことを言われているように感じてきて

 

「.........やめてもらえませんか」

高3のとき、一番前のど真ん中の席だったが、先生に話しかけるのはほとんど初めてだった。

「なんで?」

いつもの調子で明るく言う。ラテン系のハーフに見える細くて私と同じくらいの背丈の先生だった。

「自分に言われているような気がして」

「ブスなんてこの世にいないよ」

新婚で、初めての授業の時に左手の指輪を見せつけては、結婚式の段取りや新婚旅行について自慢げに話していた。みんなに少しいじられながらも飄々としている先生を私のようなブスで地味な生徒がいじれるわけもなく、一刻もはやくこの奨学金の手続きを終わらせねば!と思い、無視したが、先生は「ブス」について話続ける。「だってそう思わない?ブスなんていないよ!みんな違ってみんないい!」

ちゃんと聞いてた。適当に相槌打ちながら、私はちゃんと聞いてた。若くても先生らしいこと言うんだなと思いながら。

 

 

 

そうして、数週間後の現代社会の授業中に先生はいつもみたいに雑談を始めた。その日はお兄さんの彼女と挨拶をしてきたことについてだった。

「兄貴の彼女まじブッッスだった」

あの日のように「ブス」を強調してなんども繰り返して話をしていた。

みんな笑っていた。私は一番前の一番教壇に近い席で先生の顔を見ていた。

先生の目に私はずっと映っていなかったみたいだ。

 

 

 

ポートレイト

 

今も昔も写真を撮られるのが苦手だ。snowの流行りにすらのらなかった。

 

小さい頃、カメラを怖がって一時期の写真全部目を全力で閉じている。ちょっと俯く流行を2・3歳にして取り入れている。この年齢だから余計可愛いく感じる。

昔からビビりだ。

 

 

高校の学生証の写真が毎回犯罪者みたいな風貌になっていた。

解像度が低いのと、写真を撮られることに緊張しているのが合わさって、毎年春に更新されていく学生証の写真を見ては、本当の私はこんな顔なのかと絶望していた。鏡でみる自分にかなり脳内で補正をかけているのだと思った。ブスだと自分で気づいていたが、悲しかった。牛乳石鹸でロン毛の髪を洗うカメラマンのおっちゃんの腕を信じたくなかった。でも、友達がそのカメラマンを気に入ってたし、自分の心の中で留めていた。

クラスの集合写真は引いているからかまだマシに見えた。足細かったし。

こんな学生証誰にも見せたくなかった。カバンの奥底で眠らせていた。しかし、学生証の写真は学生証だけの写真ではなく、先生方が持つ名簿にも使用されているらしかった。

美術の時間、先生はこういった。「まだ、全員の顔と名前を覚えきれていないからみんなの作業時間に名簿の写真を見ててもいいかな?」おじいちゃん先生に誰も返事はしなかった。無言をイエスと捉え、先生は名簿の写真と名前と我々本人の写真を見比べた。先生が見るだけで友達や好きなヒトは見ないからと心の中で唱えては、あの写真があの学生証以外にも存在することにヒンヤリ冷たい気持ちでいた。あいうえおの出席番号順 私は4番目。無言で顔を上げ下げする先生。見られるのにも緊張してきた。見ないように、意識しないように、目の前の木彫に顔を向けていたが、急に「すみか!」と呼ばれる。

「これお前か?別人だな!」

先生は、近づいてくるでもなく、教室の真ん中で私に向かって言った。顔を上げて、先生の方を見る。目が合う。たぶん、ぎこちなく笑っていたと思う。「う〜ん」と言ってまた名簿に顔を戻す先生。みんなに聞こえていたと思うけど、誰も私に興味なさそうだった。ゆっくりまた、木彫の方へ、下を向いてドキドキしていた。緊張と、写真への冷たい気持ちと、自分の容姿に対する悲しみと自分には見えてないけど、他人が見える顔の違いへの恐怖が溶けてく。

なんだあ よかった 補正ばかりじゃなかったんだ 犯罪者の指名手配犯みたいな顔は別人なんだ!なんだよかったあよかった!

なんどもよかったと心の中で繰り返していた。

免許証の写真もブスだけど、牛乳石鹸ロン毛のカメラマンに撮ってもらった3年間の私の顔が史上一番指名手配犯だった。

高校を卒業して、大学の学生証は、高校のときに願書を出したときに撮ったスピード写真だ。ちょっとスピード写真を後悔しているけど、高校の生徒手帳の写真の八億倍くらいマシに思えた。

もう2度とあのカメラマンに撮られることはないと思っていたら、成人式の前撮りでまた会ってしまった。もしやと思った。晴れ姿のはずが、前撮りの写真も化け物みたいで悲しかった。もう少し痩せていれば、つけまがなければ、引きつっていなければ....母がアイホンで撮ってくれた写真も、遠くからアップで撮っていて解像度が悪かった。お見合いに使うかもしれないと言われたが、私が相手なら絶対会いたくない。

そのくらいあのカメラマンに撮られた自分が大嫌いだ。

でも、友達が撮った最近の私の写真も、ゲテモノ感がすごかった。私は写真が嫌いです。本物が一番マシでかわいいおわり