宝石をのせて

 

免許の更新とは、何故誕生日の前後二ヶ月間なのだろう。もっと自由でいいじゃないか。長期連休がない期間に実家に帰るというのはなかなか難しくはないだろうか。写真を撮るのだって私は絶対秋より夏の方が痩せているので夏!夏休みに帰省したついでに更新させてください!

とは言え、誕生日の近くに実家に帰る口実ができたのはちょっと素敵かもしれない。分からない。乾燥して指先がささくれだっているので嫌な予感もしている。ささくれできる子は親が苦労していると聞く。そんなの冬はさけられない。

 

それはさておき、夏休み後半の九月に、母は私を大学近くのアパートまで送るのにスーパーにたまに立ち寄る。そこで売られているシャインマスカットを加工したお菓子をいつもいいな~と言って眺めている。よく言う。しょっちゅう言う。全国にある不二家でシャインマスカットタルトを販売してても言う。いいな~って。

高いんですよね、シャインマスカット。加工したお菓子一個230円ですからね。シャインマスカット一粒が加工されていて、たったひとつぶなのに!?ってかんじ。おいしいし、宝石みたいで綺麗だけれど、庶民にとっちゃ特別な食べ物だ。

おみやげとかだいたい偶数個入りで四個入り、六個入りとなると私の家族は五人なので多いと戦争になるからだいたい四個入りのお土産を買って帰り「私に一口ください」か「集金!ひとり300円で~す」と言う。集金された試しはないのだけれど。

大学も四年目だし、今年のこの季節を逃すと食べられなくなっちゃうのかなと思い、財布の紐を緩められない母に変わりにシャインマスカットを購入すべくスーパーへ立ち寄る。

加工したお菓子はいいや。一粒を私に与えてくれる人はいないだろうし、私もかじられた一粒をもらいたくはない。そのまんまのシャインマスカットを買って帰省する。そんな決意をした

がしかし、この地域産のシャインマスカットが見当たらない。タイムセールで別のもうちょっと南の県産のシャインマスカットが売られている。えぇー。もう旬が過ぎてしまったのだろうか。このスーパー東北にしかないのにプライドを捨ててしまったのだろうか。立ち往生する。近くの果物売り場を見る。でも柿も奈良県産だどうなってるんだ。やっぱりプライドを捨てたのか。

迷った悩んだでも買った。

母にシャインマスカットを食べさせてあげるためにバスと電車を乗り継いでリュックの中にシャインマスカットをしのばせて私は北へ。

どんな反応するだろう。県産じゃないんかいとか言われるだろうか。言わないだろうな。

あとちょうど一時間後に電車は最寄りのスイカが使えない、きっぷさえ回収されない無人駅へたどり着く。

免許を更新する。そのついでだけれど、21歳最後の親孝行になればいい。

 

ビジネスフレンズ

 

 

 友達 について考える

私はすごく面倒臭いにんげんだから時々、友達について考える。

今同じ学校にいる友達が来年も横にいたり、誰かと連絡取ったりすることが一ミリも想像できない。卒業したらSNSも全部一旦消したい。

でも、友達。

 

自分から連絡しないと、誰かから連絡がくるまで私たちは交わることがない。なんか話したいなって思ったら話しかけるし、話したいこと特になければ私は話さない。たまたま偶然出会うなんてそんな都合のいいことない。

「今日、アイスの試食のマネキンさんがさぁ、血液型で太る食材があるって言っててさ、B型ですって言ったら、B型は何食べても大丈夫!とか言われてさ、信用ならねーって思った」なんてさ、どうでもいいことを笑って聞いてくれる人がいればいいなぁなんて思うけど、ツイッターも開かれんのよね。

地元の友達から珍しく電話がかかってきてて、「仕事を辞めようと思うんだけど…」ってかれこれ二時間相談にのる。「上司にはこうわれて、親にはあぁ言われて、○ちゃんにはこう言われてさ、どう思う?」巡り巡って私のところへ連絡したらしい。自分で決められないことを、誰に意見を聞いても決められないことは、結局、誰かに自分が納得できる答えを求めてるということなのだと思う。自分がしたい選択をしていいか、誰かから許可や理由を得たいんだ。だからその方向を肯定してあげる。降りかかるリスクを想像してここには気を付けてねと押してあげる。

「結局さあ、他人は他人じゃん。適当じゃん。自分のことを一番考えてあげるのは自分じゃん」この子はたまに本当にほんとうのことを言う。ぴしゃりと柔らかく叩かれた。「うん そうだね」そういう、誰も声に出さなそうなことを伝えてくれるところも大好きだよ。

 

来年は東京かあ。って言って遊ぼうねって言ってくれる子も会いに行くねという子も、友達でいたいなんて言ってくれる子も、そんなことより、「来年からはみんなバラバラになってそれぞれの環境で新しい友達をつくっていくんやで」って言いながら今遊んでくれる友達の方が私はよっぽど信用して今を安心して過ごせる。

 

 

 

 

「すみちゃんはビジネスフレンズってかんじ」わあそっか。確かにね。そうだね、うん、そうだよ。

私が手を離したくないと、今繋いでおかないとすぐに切れちゃうよ。友達と言える賞味期限も、このご縁の糸も。

でも分かんないや 友達って何だろう難しいね

繋ぎ止めておく共通の何かがないと何もないのかな「地元」とか「趣味」とか「特技」とか「専門」とかそれがフックになってそうしたら私たち連絡をとれるのかな

なんだろう分かんない分かんないな21歳にもなってすごく恥ずかしいけれど、私は友達ってなんなのか、さっぱり分かんなくなっちゃったな

「お前の席ねーから」って言われたあの時を思い出して悲しくなる。

あなたにとって一番の答えを出せなくても、利益が生まれなくても、面白いことが言えなくても私はここにいてもい い?

 

ビスコを食べて

 

涙の数だけ強くなれたら今ごろ最強だってーのと新宿ルミネの下着屋の前でビスコを食べながらそう思った。

 

キラキラの装飾、ピンク色の床、カラフルなレース

 

入れない

 みんなどんどん出入りしていく。女子高生からおばさんまですんなり入っていく。私にはその権利がないような気がする。今日はくたくたのスーツで、ひとりで無料で座れるところを探してビスコを食べているこんな私が立ち上がって姿勢良くあの空間に入っていくことなどできない。下着屋って、ランジェリー店と思い浮かばなかったから入る資格がない。あの女、スーツであんなとこはいりやがった。くたびれた就活生が時間つぶしに入るなよとか思われてそう。

 サイズとか、柄とか、色とか、値段とか、顔の偏差値とかから、人前で下着を買いたくない気持ちが大きい。もっぱらネット通販だ。口コミをよく読んで、ワンサイズ小さいやつね!オッケーとか、判断しきれないときは、見に行って試着しないで帰る。自分でもどうかと思う。

それでも私は生活の中で毎日の服を選ぶより、下着を選ぶ方が楽だ。人に見られないから、好きな柄の下着をつければいい。付け心地がいいのをつければいい。明日の服をこれにするならこれにしようとか。正解が全て自分にあるような、人に見せる機会がないからこそ、好きに、自分のために選べばいい。私は人より胸が大きい。鏡の前で下着姿でいる自分をみてあぁ、おんななんだってしみじみ思う。

お洋服だって同じく選べばいいのにね

ビスコはいつ食べても等しく優しい食べ物なので強くなれなくても、大好きです。

 

不透明から

 

 

知り合いに10月生まれがとても多い。毎日誰かの誕生日だった気がする。

人の誕生日を覚えるのが得意だったが、20歳の誕生日の夜、バイトで5年に一度の衛生調査が次の日に入るからという理由でお店を閉めた後に普段は業務内容に組み込まれていない「トイレ掃除」をした。店長に「お前は大変なときばかり(シフトが入っている)だな」と言われ、分かってた上で人の誕生日にシフトを入れてきたマネージャーのことを横目に、私の人生こんなか、誕生日ですら他人の悪意に支配されるのか、と思った。

バイトが終わってアパートに着いたら、玄関のドアノブにタラコとコンビニスイーツが入ったビニール袋がぶら下がっていて、友人2人の名前が書いてあった。私がトイレを掃除している間にこれを買ってきてくれて下げて二人でどこかにご飯を食べに行ったんだろうなと予測できた。余計に悲しくなって玄関でうずくまって泣いた。

他人にとって誕生日って割とどうでもいいことなんだな、というか、私がどうでもいい人間なのかなと思い知らされて、ずっと抱いていた誕生日の特別感がスッと消えて人の誕生日を覚えるのが苦手になった。このエピソード一生忘れる気がしないな。

暗い気持ちになりましたね。

 

この調子で大事な友人の誕生日をすっぱり忘れていて猛省した。2日後に本当にごめんと謝罪しておめでとうと連絡した。最低だった。

 

誕生日といい、年賀状といい、物理的距離が離れた相手との安否確認のように連絡をとる手段のようだ。今年は自分から何人かに送った。二人から返ってきて、何人かはラインで、一人くらいが音沙汰なしだった。自発的に行動しないと私には繋がりなんかどこにもないんじゃないかと思う。しかし、来年は喪中だ。母から喪中のハガキ何枚欲しいか問われたが贈る相手の顔が全く浮かばなかった。とりあえずの「2枚お願いします」と答えた。

 

みんなのインスタグラムに映る思い出の写真や複数で撮っている写真に自分はいない。タグつけされたこともない。「来年就職先はどこなの?」に答える必要性はあるのか分からない。遊ばないでしょう。新しい環境と新しい出会いにより私と会う時間なんてないでしょう。それが分かっていて今遊んでくれる友達が好きだ。割り切ってて「来年からはまた新しい友達ができるんだよ」これで離れ離れになるのは分かっているよ。だから今遊んでくれる友達が友達だ。

人間関係なんてそんなものなのよと時々言い聞かせる。要るものと要らないもので分別するのはこの居場所があるからで、次へと移動する際には、要るもの・要らないものじゃなくて大切なものだけなのだ。

空気がうんと冷たい。シンと染みる。始まったばかりのように思うけどもう終わりなのだ。終わりに向かって平らになっていくだけ。

何かしたかったら、何か残したかったら、自分で動くのが一番楽で早くて簡単なんだけど、全部やろうと思うとしんどいから協力してくれる信頼できる相手がいるといい。なんで私ばっかり!で怒ってしまうくらい私はまだ力もなくて強くもない。そんな信頼できる相手もいないから全部諦めて歩くんだ。こんなんでいいのかな。誰も白黒はっきり教えてくれないグレーのまま、そのうち見えなくなってしまうんだろう。

 

 

前を向け

 

久しぶりにブログを書く。

最近は専ら、思ったことは言うという戦略に変更しているので、考えたことを外に出す機会が多かったり、何も考えていないだけなのかもしれない。

でも、好きなものや好きな理由を大きな声で言わないようにしたい。大切なことは書き記すか、自分の中だけで抱きしめていよう。安売りしないでいこうと人付き合いのなかでふとなんとなく強めに思うのだ。だから久しぶりに更新する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「卒業したくないなあ」

と呟く同じ学科の人間のその言葉の指す意味を考える。友人達と思うように会えなくなるからなのか、この学生という名の時間の使い方なのか、好きなものを好きなように作れるこの環境からか、この人が少ないのんびりとした土地を離れたくないのか。どこをなぞっても「卒業したくない」という感情にピンと来なかった。私にとってはお金を自由に使えない、この慣れた早々劇的に変わることもない温い人間関係という環境は絶賛変えたい。あのアパートは好きだし、この人の少なさ加減は丁度いい。強いて言うなれば、週に一回ゼミ室に集まり、みんなでお話しているときに小さな声で発生する内緒話を「え?なになに?」とニコニコして聞いてくる普段は見せない先生の可愛いお顔を眺めてたいと思う。

でも、言っても私はデザインすることが怖い。何が綺麗で流行りで廃りで今っぽくてかっこよくておしゃれなのか。自分に似合うもの、合うもの、正しいものを判断することも困難なのに、自ら作り出すというのはよく分からない。みんなで同じ課題に取り組んでいるときに、正解不正解が分からない。大きく外してしまっているものは分かるけど、自分が作り出すものに自信が持てない。よく見て感じて研ぎ澄ますしかない。でも見て感じて真似をしてしまうように感じている。ピンタレストもインスタグラムもどこか怖い。デザインを学ぶために先生のゼミに配属したのに、このざまだ。卒業を引き止める理由は見当たらない。

先生はいつも声が小さい。自覚しているのに声が小さい。だから大勢で授業するのに向いていないと思う。一年生のときに声が小さくて聞こえないのと、難しい話をしている気がしてこの人には近づかないだろうなと思っていたが、ゼミに入った。第一希望は違ったけれど、そういう運命なんだと受け止めた。たぶん合っているだからここに配属されたのだとなんとなく納得させて手探りでゼミに出席していた。

四年生がするのは卒業制作だ。卒業制作をするにあたって、多くのみんなは「絶対に賞をとりたい」または「卒業できればいい」と口にする。先生はなんかの話の流れで「卒業制作をしてそれが生きる力になればいい」といつものように小さな声でふと言った。当たり前のことであるように、いつもと変わらない温度で、それがうんと大切なことであるようには話さなかった。それを聞き逃さなかった。

 

 

教職の授業でよく「生きる力」という単語がでてきた。生きる力を育む授業を行おうと指導される。果たして「生きる力」とはなんのことを指すのだろう。国語でも数学でも、理科社会英語美術音楽体育じゃない。自ら考えて選択していくことを指すのだと私はそれらの授業で解釈し、レポートを何枚も書いた。

 

 

でも、先生がおっしゃる生きる力とはまた別のことかもしれない。この経験がふと折れそうになったときに自分を繋ぐきっかけに、記憶になればいいいうことなのではないかと勝手に思っている。

だから私の卒業制作の目的は賞をとることではなく、卒業するのはもちろん、だけどちゃんとここを卒業しても、先生のもとを離れてもなお、生きていく力を身につけるのだ。どちらのモチベーションにも揺らがないで、考えて、私の大切を大切に守って完成させるのだ。そうして最後の学生生活を彩っていく。振り返ったときに見える色は違えど、形として残る思い出を記憶を作るのだ。

 

あと半年、週に一度先生の美しいお顔を眺めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#わたしの自立

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アシ

 

「裁判所の方ですか?」とかなり滑舌の悪い男から電話がかかってきた。(携帯なのに裁判所なわけねーでしょ)と思い、「いいえ、違います」とブチっと切った。電話番号を検索したら警察署だった。

次の日、警察署から再び電話がかかってきた。「6月に届出を出していただいてた自転車が見つかりました。いつ頃取りに来れそうですか?」という内容だった。もう見つからないだろうと思っていた自転車。届出を交番で出したときに「防犯登録がこの県ではないので難しい」と言われた。防犯登録は各県ごとに違うのは分かってたけど、どんな意味を持つのかさっぱりだった。錆びていたし、電気はつかないし、就活で東京へ行って帰ってきて、とめたはずの駐輪場を5周したりして探したけども、なかったので諦めていた。「明日、晴れたら取りに行きます」と答えた。

次の日、とても晴れた。自転車に乗って帰るつもりで歩いて警察署へ向かった。私が予想していた警察署は、市役所だったので思いっきり通りすぎていた。10分遅刻して警察署にたどり着き、手続きをして私は自転車を取り戻した。前輪に空気が入ってなかったり、黄色い札が張られていたり、予想より錆びていた。歩いて引いて帰ってきた。

自転車を盗まれていた間、同じアパートの子がアパートにある放置自転車を綺麗にしてくれて、使えるよ!と言ってくれた。ありがたく使わせていただいてた。電気は着くし、錆で鍵がかからないこともない。強いて言えばブレーキをかけるとき、「キキィイィィィ」とうるさいのに困ったくらいで元々乗ってた自転車よりずっとずっと使い心地がよかった。あと、防犯登録をしてあったので、警察に捕まったとき、私は盗難で被害届を出しているくせに、放置自転車を使用しているということが、窃盗に値してしまうのではないかという不安はあった。

自転車一台盗まれたと、親戚や大人に伝えれば、「自転車あげる?」と色んな人から手を差しのべられたが、あと半年も乗らない自転車をこのアパートへ増やしても放置自転車になりそうな未来が予測されたので断り続けた。そんな三ヶ月だった。

見つけてくれた人、代わりを探してくれた人、提供してくれた(しようとしてくれた)人たちがたくさんいてありがたかった。

錆と空気の入らない前輪のタイヤを見て、これを再び使うか悩んでいる。なにはともあれ、一度手放した気でいたものがこうして戻ってくるということがありえるんだなあとしみじみ思った。

 

 

AEDの講習を受けに行った。グループで、代表が行けば良くて、8人の中で私だけが行くことになったことにイラつきながら、人生で何回目だよと思う講習を受けた。

人形に息を入れてアルコールで拭いたのを間接キスで回すのが嫌だ。(行きたくなんかないけど)誰かが行かなきゃいけないなら私が行くよと言って参加した。飲み込めず、外にも吐き出せない気持ちをズルズルしてしまって相手を不快にさせないために自分の機嫌が悪くなるやつ、いい加減やめたい。

四人グループで1つの人形を使ってAEDを使う練習をした。知らない3人と一体の人形を何度も回していった。手を抜きたくてゆっくり心臓マッサージを行う。まわりの皆はその倍くらいの早さで一生懸命やっていた。自分の番が回ってきて人形の顔にまじまじと目を向けたとき、おじいちゃんが死んだときの顔に似ているなと思った。ガンで痩せこけた輪郭、ちょっとだけ空いている口、もう開かないんだろうなっていう瞼。心臓がとまった状態の人の顔をこんなにリアルにする必要なんかあるのだろうか。おじいちゃんに似ている、おじいちゃんより確実に若い人形に息を吹き込む。使い終わった後、エタノールでその口周辺は丁寧に拭かれる。作業が終わる度に同じグループの男子は「ハイ、生き返りました~」と言う。生き返らないよと思う。もう棺のなかに入っているくらい穏やかな顔をしてるもの。