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2年2組22番

 

 

私は23番。

クラス替えって一人違うだけで残酷になったり、天国になったり。22番という数字に固執はしてないし、すべて2が揃うのがお似合いな友達が22番だったのでとてもよかったと思ってる。本当。

 

家を出て街を歩く。歩いている人はいないけど、接触しそうになる。向かってくる車と。

赤信号で横断歩道を渡るか渡らないか。青信号で横断歩道を渡るか渡らないか。選択は四つあるけど、大きく言って結果は二つ。生きるか死ぬか。青信号では死ぬ確率は低い。でも低いだけ。結果必ず生き残れるとは限らない。向かってくる車に跳ねられて死ぬかも。外にでるだけで ねぇ、ほら、家の中にいるより人生が良くも悪くも変わるチャンスが蔓延ってる。

外に出るか家のなかで引きこもるか、人生全て選択なのかもしれないけど、全部が全部選べるわけではない。置かれた環境、時代、周りの人間、与えられた才能、持って生まれた美しさとか病気とか。出席番号もクラスも、誰かに決められてきたでしょう。故意に選べないでしょ。

受験のひとつでもそう。毎年毎年が同じ倍率じゃない。流れ行く時の中で試験も変わってきている。どこで諦めるか、どこで受かるか、割りと自分の意思だけじゃ決められないような毎日じゃない?

だから、今、ここにいるのは運命だと思いながら過ごす。田舎の公立高校を受ける際に親に「私立(滑り止め)を受けるなんてお金の無駄。落ちたら家で家事してなさい」と言われた私からしてみれば、受かって本当によかった~!なんだけど、面白いでしょう。クラスのみんなは本命の学校に進むか、落ちて滑り止めかなんてなかなか心が揺らぐ不安定な受験。私は 落ちたら 家で 家事。中卒だからたぶん一生 家 で 家事 。揺らぐ受験なんてなくて まぁ 落ちたら落ちたで死ぬか、という不安定が安定する初めての受験をした。推薦で先に受かった友人に、「受かったよ~」って言ったら「大丈夫でしょ!」みたいな、当たり前でしょ!といったニュアンスの返事が返ってきた。

受験は信号みたいで、青になったからこっちに進んだ。みたいなところがある。友人からしてみれば、私がこの横断歩道を渡ることを当たり前として感じていたのである。青になるだろうって、これからも一緒に三年間過ごせるだろうって。よかったそんな風に思ってもらえて。そのあと三年仲良くしてもらえて。

自分が儲けた選択を信号に判断してもらう。私は生活のなかでたまにそれをする。あの信号が赤になったらドラックストアは行かないことにしよう、とか。目的地につくまで極力止まらないで進むみたいなルールを儲ける。まあ、今日はそんな運勢だよ みたいな気持ちで進む。

ただ、青信号でも時に事故が起こることを忘れてはいけない。安心してでも大事なことは目で見て耳で聞いて頭で考えて進めるのが吉。轢かれそうになる度に目を冷ます。しっかりしろって。

ほらほら、23番なりに楽しく過すんだ。置かれた場所でどんな選択が待ってる?とびきり面白い22番の子と仲良くなる大大大チャンスを中学の私は最大限に活かした。笑ったり泣いたり、次の年も前後だったけど、最高に楽しかった。

年をとるにつれてきっと選択の責任の重みは増していく。20歳の私にもまた自分の選んだ選択から神様に愛されて運命みたいな日々に向かっているのだと信じていたい。そのためにほら、今何しなきゃいけないか、考えて動くんだ。もう大人なんだから。