「ブスなんてこの世にいないよ」

 

「きりこはブスである。」

 

この一文から始まる西加奈子さんの「きりこについて」をご存知だろうか。

https://www.amazon.co.jp/きりこについて-角川文庫-西-加奈子/dp/4043944810

 

この本の1ページめを開くときりこがどうしようもないブスだということが力説されている。数回繰り返し出てくる「ブス」という2文字が太く強調されている。読むこちらのブスもちょっと怯むなかなかの冒頭だ。「恥の多い生涯を送って来ました。」並みに強烈に覚えている。

そんな本を高3の時、奨学金の手続きをするためのパソコンに入力する会に持って行った私が大馬鹿だった。入力に手こずり、最後まで残ってしまった私の横に奨学金担当現代社会の先生がやってきた。私の手元にあった小説を手に取り、音読し始めた。

「きりこはブスである。」

しかも上手にちゃんと「ブス」を強調して。

「ブス」の「ス」に力を込めて、目を細めて。冒頭からなんども出てくる「ブス」の単語だけが私のことを言われているように感じてきて

 

「.........やめてもらえませんか」

高3のとき、一番前のど真ん中の席だったが、先生に話しかけるのはほとんど初めてだった。

「なんで?」

いつもの調子で明るく言う。ラテン系のハーフに見える細くて私と同じくらいの背丈の先生だった。

「自分に言われているような気がして」

「ブスなんてこの世にいないよ」

新婚で、初めての授業の時に左手の指輪を見せつけては、結婚式の段取りや新婚旅行について自慢げに話していた。みんなに少しいじられながらも飄々としている先生を私のようなブスで地味な生徒がいじれるわけもなく、一刻もはやくこの奨学金の手続きを終わらせねば!と思い、無視したが、先生は「ブス」について話続ける。「だってそう思わない?ブスなんていないよ!みんな違ってみんないい!」

ちゃんと聞いてた。適当に相槌打ちながら、私はちゃんと聞いてた。若くても先生らしいこと言うんだなと思いながら。

 

 

 

そうして、数週間後の現代社会の授業中に先生はいつもみたいに雑談を始めた。その日はお兄さんの彼女と挨拶をしてきたことについてだった。

「兄貴の彼女まじブッッスだった」

あの日のように「ブス」を強調してなんども繰り返して話をしていた。

みんな笑っていた。私は一番前の一番教壇に近い席で先生の顔を見ていた。

先生の目に私はずっと映っていなかったみたいだ。

 

 

 

ポートレイト

 

今も昔も写真を撮られるのが苦手だ。snowの流行りにすらのらなかった。

 

小さい頃、カメラを怖がって一時期の写真全部目を全力で閉じている。ちょっと俯く流行を2・3歳にして取り入れている。この年齢だから余計可愛いく感じる。

昔からビビりだ。

 

 

高校の学生証の写真が毎回犯罪者みたいな風貌になっていた。

解像度が低いのと、写真を撮られることに緊張しているのが合わさって、毎年春に更新されていく学生証の写真を見ては、本当の私はこんな顔なのかと絶望していた。鏡でみる自分にかなり脳内で補正をかけているのだと思った。ブスだと自分で気づいていたが、悲しかった。牛乳石鹸でロン毛の髪を洗うカメラマンのおっちゃんの腕を信じたくなかった。でも、友達がそのカメラマンを気に入ってたし、自分の心の中で留めていた。

クラスの集合写真は引いているからかまだマシに見えた。足細かったし。

こんな学生証誰にも見せたくなかった。カバンの奥底で眠らせていた。しかし、学生証の写真は学生証だけの写真ではなく、先生方が持つ名簿にも使用されているらしかった。

美術の時間、先生はこういった。「まだ、全員の顔と名前を覚えきれていないからみんなの作業時間に名簿の写真を見ててもいいかな?」おじいちゃん先生に誰も返事はしなかった。無言をイエスと捉え、先生は名簿の写真と名前と我々本人の写真を見比べた。先生が見るだけで友達や好きなヒトは見ないからと心の中で唱えては、あの写真があの学生証以外にも存在することにヒンヤリ冷たい気持ちでいた。あいうえおの出席番号順 私は4番目。無言で顔を上げ下げする先生。見られるのにも緊張してきた。見ないように、意識しないように、目の前の木彫に顔を向けていたが、急に「すみか!」と呼ばれる。

「これお前か?別人だな!」

先生は、近づいてくるでもなく、教室の真ん中で私に向かって言った。顔を上げて、先生の方を見る。目が合う。たぶん、ぎこちなく笑っていたと思う。「う〜ん」と言ってまた名簿に顔を戻す先生。みんなに聞こえていたと思うけど、誰も私に興味なさそうだった。ゆっくりまた、木彫の方へ、下を向いてドキドキしていた。緊張と、写真への冷たい気持ちと、自分の容姿に対する悲しみと自分には見えてないけど、他人が見える顔の違いへの恐怖が溶けてく。

なんだあ よかった 補正ばかりじゃなかったんだ 犯罪者の指名手配犯みたいな顔は別人なんだ!なんだよかったあよかった!

なんどもよかったと心の中で繰り返していた。

免許証の写真もブスだけど、牛乳石鹸ロン毛のカメラマンに撮ってもらった3年間の私の顔が史上一番指名手配犯だった。

高校を卒業して、大学の学生証は、高校のときに願書を出したときに撮ったスピード写真だ。ちょっとスピード写真を後悔しているけど、高校の生徒手帳の写真の八億倍くらいマシに思えた。

もう2度とあのカメラマンに撮られることはないと思っていたら、成人式の前撮りでまた会ってしまった。もしやと思った。晴れ姿のはずが、前撮りの写真も化け物みたいで悲しかった。もう少し痩せていれば、つけまがなければ、引きつっていなければ....母がアイホンで撮ってくれた写真も、遠くからアップで撮っていて解像度が悪かった。お見合いに使うかもしれないと言われたが、私が相手なら絶対会いたくない。

そのくらいあのカメラマンに撮られた自分が大嫌いだ。

でも、友達が撮った最近の私の写真も、ゲテモノ感がすごかった。私は写真が嫌いです。本物が一番マシでかわいいおわり

メンタル儚し痩せよデブ

 

はい。

 

太りました。3キロ。3キロ女子高生の平均から遠ざかった。

まあ、私は164cmあるし、おっぱいもあるしって思うけど、この言い訳はどこまでできるんだろう。いや、ある層からはもうだめかもしれない。デブじゃんって後ろ指差されている。

 

まあ、デブなんです。ここまで太ってしまってキープしているあたり、思考が。デブの思考って自分に甘かったり、自虐的でも開き直って自分に甘かったり、嫌なことは避けるし、無理って決めつけちゃってる。そのくせ傷ついたら傷ついたって食べることのいいわけにしている。

メンタル弱すぎるでしょう。食べてもいい理由をこじつけて自分に甘すぎるでしょう。痩せます。自分に甘くても俺は俺。デブはデブ。

夏にビキニ着てみたくない?まあ、恥ずかしくて人前には出られなそうなんですけど。でも、スカートはくし、くびれたいし、かわいいおしりだとか胸だとか思われたいし、あのこより顔が小さくなりたいし、恋したいし。

人生最後の身体検査が三ヶ月後に迫って、いつまで気にしてるのって笑われてもいいんです。女の特権だと思って一喜一憂ダイエットをする口実や目的さえあれば私はきっと可愛くなれると思うのです。がんばろ

 

 

夫婦がいい!の日がいい

 

11/22

いい夫婦の日

良い夫婦とは?

 

 

 就活ガイダンスのプリントのメモに走り書きされていた。

 

 

良い夫婦とは?

 

 

きっとそれぞれの答えがあって正解がないこと。考えても、様々な形の家族があってこうしたいだとかあれが普通だとか理想でしかない。

結果、夫婦がいい!の日がいいなと思いました。

ゼクシィの「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです。」(すごく尊いコピーだと思います)の花嫁さんの二人が一緒に生きて行く幸せな気持ちを確かめられるような、胸をはって二人が夫婦がいいねぇって言えるような永遠に幸せに暮らしましたの階段を踏めるような日がいいなとおもいます。

 

御花畑ちゃんからでした

 

ふたつしかない目で見て 声で教えて

 

病は気から、人の目を気にしすぎる私たちへ

 

 誕生日や別れ際にやる普段あなたをこう思っているよっていう告白、相手のことも自分のことも好きになれるからもっとやればいいのに。相手の好きなところ見つけるのと、感謝や好意を伝えることで信頼関係が生まれるし、互いに自己肯定感が養われると思うし。別れ際なんてもったいないよ。もっとはやく言ってよ。失くしてからじゃなくて目の前のわたしとあなたを大切にしようよ

 

 

 

今週のお題「体調管理」

She is

 

カロン食べてるときに感じる幸せと えびアボカドを回転寿司で必ず注文するところと ひとりでブラジャーのデザイン見ながら選んで試着しているときと 左目のほくろをアイラインで消すときと 鏡に映る自分の肌が白くて嬉しいときと aiko大塚愛を聴いて背の低い女に生まれたかったなと思うときと 抜けたまつげの長さを憶測するときと 字を丸っこく書いてみようかと思う日と 無意識にパステルカラーばかりのデザインを生んだときと おばさんから反感買ったときと 女の子に抱きつかれてもドキドキしないときと 男に優しくされたとき、あぁ私は女だなと実感する。

 

考えることが好きで、当たり前にハッピーエンドが好き。惚気話は好きだけど人の悪口はどんな顔をして聞いているのか言っているのか自分の顔を想像しなくない。人の話を聞くのは、面白くなければそんなに好きではない。でも話を聞くのは上手だと褒められたのは嬉しかった。感情がハイにもローにもならず一定で でも、ちゃんとリアクションがとれているらしい。

シャワーを浴びたあと全裸でタオルにくるまって排水溝を眺めながらどうしようもないことを考えてる20分が一日のなかで一番無駄だと思う。寝付くのが下手であんまり人を好きになれなくてそれは悲しいことだと分かっているけど独りの時間を愛している。人を好きになれますようにと祈る。甘えたいときだけ彼氏がいたらいいのにと思う。

ラインの通知は割と早く気づくけど、返信は面倒くさくて、落ちているゴミをたまに拾って帰ってきては家のゴミ箱へ入れる微妙な正義感があり、誰にも感謝されないけど、良いことをしている自分に何か良いことが起こったらいいのにと思う。

思ってもいないけどよく「そうだね」という。イツメンには入れてもらえないけど、友達はいてイツメンの誰かとのいざこざをよく聞く。結局都合のいい女になってることに憤慨する。悪く言われていることをたまに立ち聞きしては、何もなかったかのような顔をして過ごす。「あなたはお姉さんだから」の理由を小学生の頃から使われては妹がずっと背負わずにいられる大人の意見を私が聞く。妹は私のなかでずっと小学生のまんまだ。

感化されやすくて感受性が豊かで、好きになったものはきっとずっと好きでいたことを覚えていると思う。通りすぎるすべてのモノゴトに意味があることを願っている。

靴の裏に釘さされたことありますか

 

靴の中に画鋲は聞くけど、わたしは釘が靴の裏に刺さってた。

小学生の頃、踏んだんだと思った。

 

      釘

      靴の裏

      靴紐

      釘

 

てな感じで靴紐を挟んで貫通されていた。靴紐がほどけて結べなくて裏を見たらびっくり。こんなに器用に釘を踏んだんだなー!って小学生ながらに関心してた。純粋だったので。

結構ぶっすりいかれてて自分では抜けなくて職員室へ行き、先生に抜いてもらって穴が一つあいた 靴で陸上練習に向かった。家に帰って親に説明した。

大人はなんにも言わなかった。

 

高校生のとき、普通に学校へ行くと「なんで学校にいるの」と担任に聞かれた。私だけ休んでいい日なんてあるのか?と思った。

「お母さんから頭が痛いからお休みするって電話があったって」今、お母さんに送ってもらってきたのに?お母さん腹痛でも頭痛でも休ませてくれたこと一度もないのに??

電話をかけると「いや、かけてないけど」という。担任に伝える。「なんでだろうね」それだけで、私はただちゃんと出席した。

担任も親もなんにも言わなかった。

 

私だけ置いてけぼりくらって

 

 

 

 

一昨日の朝、教室へ向かって歩いていた。向こうからアルバイトが一緒だった人が歩いてきていた。自動ドアが開くころ、向こうも私に気づいて不自然に方向を180度変えた。

わかる

わかるけどさあ そんなに?  あんなにバイト変わってあげたじゃん

とか思っちゃうのが本当に私が彼にあっちを向かせるような存在であることの証明であるよなーって

私はどんな顔して歩けばいいんだろうって思いながら いつもどおりの早歩きをして既に15分遅刻している授業へ向かって歩く。久しぶりにこんなにわかりやすく肌で嫌われることを感じて微妙に痛かった。誰か隣にいて何にも気づいていないふりができていたらなあ

 

 

私のことを嫌いな人がいる。あたりまえだ 私だって嫌いな人がいる

でも毎日、なるべく平和に、目の前の人に合わせる。でもさ、「お前、媚び売ってばっかだな」て言われちゃった

誰にも彼にも好かれようとは思わないんだけどさ、うんと嫌われるときがある。私も私の嫌いなところがあるし、でもなんでそこまで嫌われちゃったかなって思う。小学生のときも、高校のときもそれらをしてきた人が誰か分からないからその人にとって私がどんな毒だったか知る由もなくて、ただ、ムシャクシャしてあんま怒らなそうだからやったとかならさ、全然怒っていないから許すし、なんなら謝るし、他のギャーギャーするような子じゃなくて私でよかったじゃんと思うけど。原因とかせめて犯人が分かればこんなに何年も引きずって悩むことなんてないのに

 

釘さした人、私のこと覚えていてくれてるかな

そのうち誰でもよかった。とかいう理由で殺されるかな

すれ違う元バイトの人とは卒業するまでこんな感じなのかな

 

嫌われるのも、そこに具体的な理由がないのもさして構わないんだけど私がその人にとってそんな風にさせてしまう存在であるという現実だけが掘り起こされては悲しくなるね

 

こんなこと誰かに聞いてもさ、なかなか「なんでだろうね」って悩むふりしつつもわかっていて言ってくれない人ばかりで、さらに人間不信になるんだろうなあという 一人反省会でした