自分よりダメな人を見て安心する

 

 

というよりかは、自転車盗まれちゃって、バイトの行き帰りに時間がかかってつらいけど、去年の今ごろは泣きながらバイトから帰ってきてて、このあと玄関で蹲って一時間泣いてたんだもんな~それより今ずっと幸せ!って思う。

人の幸せは人それぞれだし、私のものさしはちっぽけだもの。

 

就活決まらないし、自転車盗まれて移動手段全部徒歩になったけどまあまあ元気です。

ブログを書くときって自分で思っていることを書き出すと整理できるから悩みがあるときとか、ふとした感傷とかを見る人がいると仮定して文章に書き起こしてあとで自分で見るためにとって置いているようなもの。私にとって。まあまあ元気だったっていうのと、忙しかったのとアナログでたくさん「読まれるために書く」ということをしていたらブログの更新が無になってたね。

 

どんな五月を過ごしてた?

私はね、中学校へ行って教育実習をした。母校だったけど、地震で校舎が建て変わり、ピカピカの小中一貫校になっていた。あのときからいた先生もチラホラ見えたけど、みんな確実に歳をとって私が大人になったからそう見えるのか、先生たちがそう変わったのか分からないけど、先生たちそれぞれの変化が見えた。「適当だな」「怒るんだな」「丸くなったなぁ」「太ったな」「眼鏡になったな」「毛が薄くなったな」

 

中学生ってどんなだろ。年にして言えば7.8.9歳下。妹のひとつ下。教育実習って一緒の学校に何人か実習生がいて情報共有をするらしいけど、田舎すぎて他に教育実習生がいなかったから妹から事前に話を聞き出した。さすがクラスで一軍にいそうな顔しているだけあって情報がえぐかった。社会の先生が太ってて「給食食べた後なのに耐えられなくてトイレで吉野屋の牛丼食べてるって噂流れているらしいよ」って絶対嘘じゃんて思うバカみたいな話を聞いて、その先生を前にしたら想像しちゃって笑いをこらえるのに必死で最低だった。

実際のところ、中学三年生は家にいる妹より大人びて見えるし、たぶんこの子たちも家にいればもっと子どもなのかもしれない。中学一年生はほぼ小学生でわあわあ喋るからえへえへ聞いていた。絶対嘘じゃんと思う噂に笑いをこらえるのに必死になるあたり私もまだこっち側なんだな…と思った。でもたぶん中学生のころだったら笑ってなかったような気もする。

私が中学生の頃より給食費が一食あたり100円くらい値上がりしたらしく、しかも今回支払うのは自分だったので「ごちそうさまでした」の後も貪欲に全部食べきることを頑張った。一週間遅れで小学校に教育実習しにきた同級生の友達と給食とか道徳とか部活とかで盛り上がったのが面白かった。

「今日の給食さ、チーズ入ってるのにめっちゃびっくりした!」「分かる!大豆製品かと思った!進化してて感動した!」って21歳で給食の話をさ、当時も仲良かった友達と話せるなんて幸せなことなかなかないと思うよ。100円の値上がりもこの思い出が買えたと思うと安い。

美術の授業を見学して、中学生が手を鉛筆で擦れて真っ黒にしていて「汚ねー!」って男子同士で言っていてそれに対して「頑張った証拠だよ!」って叫び返していていいねと思ってにこにこした。別の学年の帰りの会で話をした。「汚れや怪我や傷を汚いだけじゃなくて頑張った証拠って捉えられる見方って素敵だなって思いました」って言った。

帰りの会で「今日の反省」をぽつり、ぽつりとその日一日あったこととそれに対して思ったことを話した。言いたいことが伝わっただろうか、あの言葉を入れたかったけど忘れてしまったとかたくさん反省しながら、緊張しながら話をした。中学三年生は大人びて反応が見えない。でも、私が一生懸命話をしているのに対して背筋を伸ばしてこちらをじっと見て聞こうとしていることはとてもよく分かった。

最後に寄せ書きをもらったときに「先生の帰りの会のお話面白かったです」「先生の帰りの会の○の話忘れません」と書かれていて、どんな風に、かは分からないけど目に見えるようにちゃんと聞いていてくれたことだけはよく分かった。最後の帰りの会でエールを送られて、校歌を歌ってもらった。一緒に歌った。合唱をする機会って大人にはないなぁって思いながら、でも私やっぱり音痴だしなって笑った。

なんとなく距離は遠くて近くはなれなかったけど、この距離のまま私はあのクラス、あの学校が中学生の時とは全く別の意味で大好きだと思った。そんな二週間を過ごしたよ。

君の五月はどんなだった?

ラーメンとお寿司

 

 ラーメンとお寿司が好きじゃない。

概念的として存在が苦手だ。食べられるし、味が嫌いというわけではない。うにといくらは味が好きじゃないし、しょっぱすぎるラーメンも食べ物の「好き」と「嫌い」に表せる不快な方の嫌いな部類に入るけれど、ネタをなんにしろ、味をなんにしろ、ラーメンとお寿司が好きじゃない。

小学校高学年の一時期、よく外食に行く機会があった。毎回ラーメンかお寿司だった。その頃は好きとか嫌いだとか、何とも思わず家族について行って、でも、私の家は貧乏だから、という先入観から遠慮して一番安いラーメンを頼んだりしてた。値段が見えてしまうことが負荷だったのかもしれない。お母さんがつくるご飯にはメニューのようにおよそ一食にいくらかかるだとか、そういうのがないから安心して食べられたのに、家族五人分の外食を4000円弱だとしても、子どものおこづかいと比べたら大金だし、誕生日にしか買ってもらえないポケモンのゲームソフトの値段と同じで、それが頭の中で繋がって、メニューを見るときに罪悪感が伴った。

弟はお寿司が好きでよく食べた。私の倍くらいよく食べて、食べ過ぎて帰宅後吐いてた。吐いたことに対してだけうわあと思った。黙っていたけど、そんなのを横目に見てからも外食へ行く週末が続き、車の中で「何食べたい?」と明るく問いかけてくる親にふと口をついて言ってしまった。

「ラーメンとお寿司が嫌い」

たぶん、行きたくないだけだったのが一周してこうなったのである。小学生の私は上手く外食が嫌だと言えなかったのである。後部座席に座る私は前の席に座る親に「ラーメンとお寿司が嫌いなんてありえない」と言われ、ひかれた。「お前がそんなこと言うせいで行きづらくなった」と言いながらも、私以外のみんなが好きなラーメンかお寿司屋さんへと車は向かうのだった。

ふと口をついて出た言葉が「なんとなく」居心地の悪い外食だっただけなのが、決定打となり、ラーメンとお寿司に抱いていた不快感が私の中で好きじゃない存在であるということを明確にした。

 

 たいていの人はラーメンとお寿司が好きだ。

「週3で寿司行った」と誇らしげに言う友人。好きな回転寿司のお店の名前を言い合う友人。「回らないお寿司しか行ったことがない」と言う友人。そのどれもに「どうでもいい」と「羨ましい」という感情が同居した。なんの屈託もなく「お寿司が好き」という当たり前を所持している様子に羨ましいと思った。

こんなことを素直に言ってはいけないのだと「ありえない人間」として拒絶されてしまうのだと子どもの時に理解して、ラーメンにもお寿司にも何も障害がないフリをして生きている。

友達とご飯に行くときラーメンでもお寿司でも提案されれば「いいよ行こう」と言う。二郎系のラーメン以外はまだ断ったことはない。

私は、ラーメンやお寿司にお金を払っていると思わない。食費じゃなくて、これは友達とご飯を食べるために交際費を支払っているのだ。居場所と同じ空間にいて同じものを食べる寂しさを埋める行為に「いただきます」「ごちそうさまでした」と言う。

よくラーメンを一緒に食べに行く友人に「あなたの誕生日においしいお寿司屋さん行こうって言ったの覚えてる?」と聞かれ、そんなこと言われたっけ?と同時にあぁ、ごめんなさいと思う。私がそこに彼女と同じ価値を置いていないことを彼女が知ったらもうたぶん誘ってもらえないような気がする。今までの一緒に食事をした時間分悲しませるだろう。彼女には墓場でも言わないつもりでいる。そのお寿司はやんわり断った。逆なら全然行く。彼女が生まれたお祝いに彼女の好きなお寿司を私がお金を払って一緒に食べる時間を過ごす。このベクトルが反対になってそのお寿司の美味しさに私がお寿司を好きになったらハッピーだけど、そうならなかったら虚しい。

みんなの顔と合わせるのだ。気付かれないように「おいしい」といいながら口へ運んでいく麺、チャーシュー、スープ、餃子、エビ、えび、エビ、わさび、メンマ、海苔。私と、ラーメンとお寿司が好きな全人類との壁をつくるそんな存在であるラーメンとお寿司。外食する際に私は道化して嫌いな存在にお金を払う。一生嫌いかもしれない憎きラーメンと寿司。

 

好きなネタ、強いていうなら味と食感とフォルムでエビ。

 

 

いかがお過ごしですか

 

GWはずっと早起きしてアルバイトをしていた。五月は多忙 超多忙。明日も八時半からバイトだ。バイト着が2着しかないので洗濯機を回すために無理矢理するべき洗濯物を探して一緒に回す。問題は乾かないということ。カーテンのところに一着、ロフトの柵に一着ずつ黒いシャツが干されてこの部屋はもう支配されたみたいに感じる。私のGWがアルバイトに支配されたように

 

 窓が明るくなって課題が終わらずとも、ゴールデンウィークの終わりが告げられている。生きがいにしよ!と思っていた朝ドラが一週間まるまる見れなくても案外未練はなくて、でもまあ今日見たら全然ついていけなくなってて「えー!なんでそうなったんだ!?!?」と一人で盛り上がるんだろうなあ

 

友達とリメンバーミーを見に行った。正直ノリ気じゃなかったけどちょっと泣いた。本当はもっと泣きそうだったんだけど、私の両脇の女の人がすごく泣くのでその状況に笑えてきてしまった。私のこういうところ、よくないと思う。片方は誘ってきた友達でメロンソーダで二回トイレに行ったのに私より泣いていた。一人でいるのと人といる環境と、何が違うのかというとたぶん自分と心の距離で、一人だったら心が自分のなかにあって、周りに人がいると心がちょっと遠くにある。人によってその距離はまちまちだけど、感情が遠くにあった方が安心する。でも、この遠くにある感情をすごく揺さぶってくれる人と近くに置いても平気な人が本当は好きな人たちなんだと思う。はたまためちゃくちゃ嫌いな人。好きと嫌いは紙一重ってそういうこと?いや、うーんどうだろう…

リメンバーミーは心の距離を好きという意味で近くに置ける人と見てほしい映画です。私は映画館を思い出して笑ってしまうと思うので家族に見せても真面目には見なくなっちゃいそうだなぁと思いました。

 

お薬みたいな人たち

 

 

良心 vs 良心(情 vs ルール)の戦いをした。アルバイト中、頭の中で三時間くらいの戦いの末、ルールが勝った。情が勝っても、ルールが守られていないことがバレたときにかかる負担と迷惑の大きさ、悪いことをしてない人が困るという現状が嫌だなと思ったのでルールが勝った。

なんだか小学生の時に読んだ道徳の主人公みたいな気持ちになった。

どうしたらいいんだろうと、一人で考えた時、誰かに聞いてほしいと思った。この立場になったら、どうするのが普通?どうしたらなるべくみんなが傷つかなくてすむ?脳内で会議をする。抱える問題の登場人物から学校の人はなし。システムを理解してくれて、読解力と良心がある人…を頭の中で検索したときに、ふたり頭に浮かぶ。

ふたりとも、もちろん頭がいい。詳しく伝えればたぶんざっくりでもシステムを分かってくれると思う。でも、私が文面だけで伝えられるだろうか?こっちの方が心配になってきた。

脳内で架空のふたりに相談した。

ふたりなら私の「あなただったらどうする?」という質問に対して答えてくれたあと、「すみちゃんはどう思ったの?どうしたいの?」と聞く。困って何も見えてない私の目線を合わせて聞いてくれる。向くべき方向を言語化させるために私は…と考える。伝えると、そこにアドバイスをくれる。そこから何かを拾って話をするする進めていく。気が紛れて気づくと楽になってる。

でも、そんなふたりがすぐ側にいるわけじゃない。たぶん暇じゃない。そしたら、

「すみちゃんはどう思ったの?」と自分に問う。何度も何度も頭のなかであっちに行ったりこっちに行ったりしていたが、ふたりの顔を思い浮かべて、言葉にしようていく過程で答えはすぐでた。ふたりが私と同じ選択をするかは解らないけど、私はふたりの前でこんな人間でいたいと思う方向へ行くことにした。

偉い人に全部チクった。大丈夫、私は悪いことをしてない。彼女にとって不都合なことをしてしまっているかもしれないけど、お金が積もって大変な思いをするのも彼女だし。大丈夫だから

どきどきしながら話をしたら笑われた。「報告ありがとう」と彼女が悪いことをしているのではなく、私を騙そうとしているだけなのでは、という可能性を示してくれた。そこにびっくりした。けど、私が騙されているだけであと全部おっけーならそれでいい、それがいいと思った。そこに知らないフリしとけばいい方が気持ちが軽い。笑ってもらえて、私は吐き出せて、そんな可能性を示してもらえてずいぶん軽くなった。

ふたりは「あなたなら大丈夫」と言う。私はふたりがいるから大丈夫になったよ。と晴れやかな心でアルバイト先に携帯を忘れて自転車をこぎ、アパートへ帰った。家について速やかにまたバイト先へぬくい風に吹かれながらもどった。

 

しあわせなのかもしれない

 

東京に住んでいる大好きな友達が保育士さんをやめた。夢を追いかけて、東京に残るため、保育士さんをしながら就職活動をしていた。高校時代「子ども嫌い」を唱えていた彼女は最初は手を焼きながらも、だんだん保育園の先生になっていった。頭突きされ、メガネを破られ、首を絞められ、親の前ではいい子にしているような3歳児がいるとか、電話を通して1,2ヶ月ごとに5時間くらい駄弁って聞いていた。子どもゆえの残虐性を知っているからこそ、「子ども嫌い」を唱えていたのだと思う。でも、次第に子どもと打ち解けていくようになったみたいだ。

「男の子は乱暴だけど、女の子は優しい」「乱暴な男の子もいるけど、おっとりした男の子もいる」「やっちゃダメだよ!そんなことされたらどう思うの?って注意した」「2歳児に「おいで!」って言われて一緒にトイレにいったんだけど、おかしくて笑っちゃった」とだんだん楽しそうに保育園について話をするようになった。言葉使いの端々に保育園の先生が滲んでいた。「就職ダメだったら地元で保育士をやろうかなあ」という変貌ぶりだった。大好きな友達のことを私はさらに大好きになった。

その友達が今春、就職が決まって保育士をやめた。夢に近づけたのだ。そんな彼女の元に就活がてら会いに行った。彼女の住む駅で待ち合わせて松屋でご飯を食べた。松屋でおっさんに囲まれながら「働き始めてまだ2週間目だけど、保育士大変すぎてこんなに楽でいいのか...ってなってる」と言いながらも、なんだか元気がなさそうだった。疲れているところにおしかけちゃったなというのもあったけど、他にも新しい環境での心配事がたくさんある話をしてくれた。「元気ない」と言う彼女に「なんか疲れているな〜って感じたよ」と伝えると「え?気づいちゃった?」と笑う。この日初の笑いっぽかった。

彼女の部屋に泊めてさせてもらった。「あっこれ見て!」と保育園でお世話になった先生方からのお手紙を見せてくれた。「わたし、もう一回退職した気分!」と言う彼女に一年で大げさなと笑いながら言った。彼女がお風呂に入っている間読ませてもらった。あたたかな応援と去る彼女に対する「またね」が綴られていた。保育園の先生方の優しさにじんわりしながら彼女に手紙を返す。

「わたしね、保育園をやめる時に頑張っていれば誰かしら見ててくれるんだって分かった。だから新しい職場でも頑張ろうと思う」わたしじゃない方向に向かって、宣言している。たぶんこうして自分に何度も言い聞かせたのだ。「保育園に戻りたくなっちゃう」とも笑いながら言っていた。彼女なりに前に進むために過去を見つめている。ふにゃふにゃしてて、でもしっかりしてる。面白いこと、本当のこと、大好きなこと、赤裸々な話、彼女の見方、彼女の取り巻く環境から生きてきた背景、全部ひっくるめて現在の彼女が大好きだし彼女のことを尊敬している。彼女の言葉を吸収したり、反射して考える。

 

頑張っていること、何かあるかなと、心のなかで自分に問いかけた。いかんせん現在テキトーに就活をしている。就活でも問われる機会の多い「学生時代力を入れて頑張ったことは何か」「学業以外で頑張ったことは何か」。履歴書には畳に関するプロジェクトに参加していたと書いているが、本当に正直に言うと、わたしは、自分の生活を支えることをいちばん頑張っている。

実家に学費と携帯代を持ってもらう以外に仕送りが一万円という金銭面は一年の頃から変わらないが、いつしか、奨学金に手を出さなくなり、家賃・光熱費・食費・制作費・その他全部なんとか低賃金な田舎のアルバイトでやっている。去年の居酒屋のアルバイトが上手くできなくなって、泣きながら深夜に帰ってきて玄関で2時間蹲っていたり、泣きながらシャワーを浴びて考えすぎて過呼吸を起こしていた。よく消えたいと思った、ここにいない方がいいと思った。泣いている間、誰の顔も浮かばなかった。涙で冷たい枕に溺れていた。誰かのせいにしたいけど、これはわたしの主観でしかないから辛いことを言って否定されるのがただ怖かった。否定されなくても「やめちゃいなよ」とか「気にするなよ」とかそんな言葉で片付けられたくもなかった。そんなバイト先で一ヶ月3.5万くらいしかもらえなくて、全てに焦っていた。自分で自分をどうにか立たせて守ってやりたいけど、バイト先で認めてもらって時給が増えることを願っていたけど、掌の皮が剥けて、ご飯を食べるのに支障が出るくらい夜は食いしばって寝たり、泣いて眠れなかったり、五里霧中だった。

紙に目標を書こうにも、何も変われなかったし、他の人は怒られなくてもわたしが怒られることはあって、あれが、これが、どうして私が、と思うとだんだん自分が腐っていった。

学校の普段関わらない就職の支援の人にきっかけがあり、すべて話して「そこで認めてもらうように努力するのはいいけど、他のことで能力を伸ばしてもいいんじゃない」と言われて納得ができた。納得したかった。私がダメだという理由以外に私が諦めていい理由が欲しかった。

 2ヶ月後やっとの思いで辞めた。あんなにつらく、苦しい思いをしたけど、自分のことが嫌いになっただけで何も得られなかった。何かを得られるまで頑張れなかった。やめることだけ告げたら親に「メンタル弱すぎ」と言われ、笑った。あらゆる原因やそのときどう思ってどうなったのかを私の親は聞かないし、私も話すことをしない。笑ってごまかす。どうでもいい話をして気を逸らす。

マネージャーには「頑張って欲しかったわ」と言われた。「すみません」と言う。この人がメガネでよかったな。レンズを挟んでしか目が合わないことに距離を感じて安心している。

やめる2週間前くらいに最後にシフトが被ったアルバイトの方から「お世話になりました」という旨のラインが来てボコボコだった私が救われた。私は自分のことで手いっぱいだったのに感謝されて返す言葉が少しも見当たらなくて時間をかけて返信した。情けなさと嬉しさが混じって恥ずかしかったけど、あれからずっとその文章の中にあった「あなたなら大丈夫」と「よければ話聞くよ」に救われて生きている。

私はこの話をハッピーエンドとして話すことができず、就活には全然活かせてない。けど、彼女に言われた「頑張っていれば誰かが見てくれている」の言葉からこのことを思い出して私にとって頑張ったことと誰かが見てくれているの誰かの顔が明確に思い浮かんで「うん、そうだね」と彼女の言葉に頷く。

人が人に与える影響によって丸くなったり、尖ったり、形を作っていく。何かを変えたくて一人で走るよりも、いろいろな人と関わって触れて考えて選んで削れて付け足して今の私がここにいる。

あなたに出会えてよかったと心から思える今の私でよかった。

 

 

 

 

 

おなかすいたね

 

 

洗濯機と炊飯器のすいっちを同時に押してお布団で待ってる。

ベランダから強い光が差し込む。川辺に咲いてる桜の花びらがここまで飛んできてる。この地で見る桜は最後かなぁと思って隣人を誘ってお花見をした。柏餅とかおかしとかお互いに持ち寄って食べて話をしながら歩いた。生とか死とか、じぶんが生まれた三日後におじいちゃんが亡くなったとか、もうそろそろお別れだとか、散っていく桜を見て歩きながら話をした。ここにある花びらはいつの間になくなるんだろうね

 

絶賛就職活動中なのを忘れてぼんやりしている。4社受けて2社落ちた。たぶん、もう1つの会社も落ちたと思う。赤裸々すぎる面接をしてまった。こんなことは話さない方がいいんだよなぁと思いながら、第一希望は落としてないのでそこへ向けての練習のつもりだけど、お祈りメールをもらう瞬間は誰かに隣にいてほしい。バイト先の人にお祈りメールの話をしても全然伝わらなくて、「あなたの今後の就職活動をお祈り致します」のメール、つまり「だめでした、次がんばれ!」みたいな意味を持っていると毎回説明する。時代なんだろうなあと言われる。企業の人の面接の最後に「なにか質問ありますか」と聞かれたら「もし、ここ落ちたら私はどうしたらいいですか?」て次は返してみようかなぁ。高校受験は「落ちたら家で一生家事してろ」と言われたけど、もうだれもそんなこと言ってくれないね。

 

外側に生えた親知らずがほっぺを刺して痛い。雨の日に自転車で出掛けて車が道を阻むからゆるやかに止まったら、滑って転んで左側が小さなアザだらけになっている。なんともない顔で左右を確認する運転手に「おまえのせいだからな」と思ったけど、完全に私のせいでしかないことがわかってて虚しい痛くて悲しい。足から血が出ていたけど、歯医者さんで気づかれなかった。足よりおしりが痛いけど、痛くもないところがなんだかいちばん痛そうに見えてしまうね

最近の生き甲斐が朝ドラ「半分、青い。」だから珍しく早起きしたりしてお布団の中でうにゃうにゃしている。前に好きな芸能人を聞かれてその年でいちばんときめいたドラマってなんだろうと考えたときに、「とと姉ちゃん」の星野さんにアーとかうーとか言いながらきゅんしてた。「坂口健太郎」と口に出して言ってから坂口健太郎をとても意識してしまってこここここれが恋!?なんてね。佐藤健の俯瞰した「このとき俺たちはまだ…」みたいなナレーション聞くだけでウワーーーー!!!となる。少女漫画大好きなんだよな 佐藤健別にそんなに好きじゃなかったのにな あれで男子中学生はかなりムリだと思ったけどな。喘息持ちの設定だからしなないで!と今から願っている。

 

一回の寝坊で自費で3000円払ってレントゲンを撮った。我ながらきれいなレントゲンだった。保健室の先生に「(出費が)痛いよね」と言われた。でも、わかんないでしょう。親から仕送りもらってないその辺の学生とは財布の事情が違うの、私が四時間アルバイトしなきゃ同じ額が手に入らないの、知らないでしょうと冷たく思ってしまう。お財布が貧乏で心も貧困になったら悲しい。早歩きで別のところへ、違うことを考える場所へ、進め進め

 

ピーッピーッ

ぬるいからだを起こしてほかほかのご飯たべよ

 

 

お題「朝ごはん」

 

 

 

東京にいた

 

東京にいた。車中泊合わせて六日間の帰りの夜光バスの中、足のむくみがひどい。

初日は、充電できるところと、freeWi-Fiにありがとう!と思ってたのに、コンビニどこに寄っても外国人ばかりだし、上を見上げれば小高いビルばかりで自分のアパートが恋しすぎて朝から泣いてしまった二日目。ビジネスホテルのシングルの部屋の大きなベットに小さく丸くなって眠った。

 

その夜、友達とカプセルホテルへ行って「寂しすぎてつらかった」ことに共感しあい、ニコニコがとまらなかった。人恋しさが空腹だったみたく、気心許せる相手がいることがすごく幸せだった。電車に乗っておみくじ引いて、ホテルまでの飲み屋街にびびり、着替えるまで入ってこないでねの契約のシャワールームと、二人でひとつのコインランドリー回して、外人ばかりの部屋にびびりながら、夜更かししていた。「自分の家みたい」と笑った友達を見て安心していた。

 

「東京名物!串揚げ!」の看板に「東京は串揚げが有名なの?」と聞かれ、「東京は何もないじゃん」と言いそうになって「なんでもあるけどこれといった特徴は」と付け足した。何でもあるけど、何もない。

バレンタインなんて本当に関係のない夜だった。

人が居すぎて本当に疲れた。あそこで立っている警察官は若いけど、たくさん勉強して納得してこれからもああやって生きてくのかなとか、地下のエレベーターから登って行くときにふと見えた床で眠っているホームレスにびびったり、コンビニで働く人の名札が「すずき(た)」さんなことに安心したりした。そういったことがある度誰かに伝えたくなった。「こわい」と思ったことを誰かで濁そうとした。

憧れはある。漫画で見た駅の名前、あの動画と同じ風景、田舎にはないコンビニ、期間限定の展示。田舎にないものが確かになんでもあるのだ。ただ、そのどれもが独りであることをより浮き彫りにさせるような気がする。分かんないけど 谷川俊太郎展行けてたら泣いてなかったかもしれないけど。

いけなかった展示の墓として本屋さんへ向かう。やっぱり行きたかった。

私は東京が好きじゃない。仙台の小高いビルを見ていても思う。ここでは生きていけないと、なんどもなんども思ってしまう。 生ぬるい温度の中でずっと眠っていたい。夢もないし、大好きな友達がいることしか好きになれない。

 

 

 

また来週も夜行に乗って、