煙草

 

「煙草吸うんですか?」

なんの気なしに聞くこともあれば、なんか不思議な匂いがする相手にも聞く。だいたい外れる。まあ、煙草ぽい匂いではないなと分かってはいるのだけれど。

「逆にあなたは吸ってるの?」

と問われる。もちろん「いいえ」。一箱四百円・スーパーなんかでたばこの税金で街が成り立ってます!というポスターを見かけてバカだと思うし、私にはそんな贅沢する余裕はない。クソガキも吸うんだろうけど、煙をまとって人に言えないあらゆるものを吐き出す形のストレス解消は大人の特権だと思う。目の前の大人が抱えるストレスを煙を見つめて考える。私にわかりっこないんだとは分かってるんだけれど。

バイト先のマネージャーが外に出てるときは煙草を吸っている。私があの失敗をしたせいかな、とか考えていたけれど、そんなピンポイントでストレスを感じて吸ってるわけないと信じたい。ほら、やっぱり、わかりっこない。

ある日、居酒屋での同じバイトが若い女性客を指して「あの女の人、煙草全然吸わなさそうなのに吸ってる。意外だ。」と言い、ふむ、全然吸わなさそうに見えてもそれぞれストレスを抱えているんだと思うけど「確かに」と答える。それから「居酒屋のバイトを始めてから煙草の匂いが好きになった」と言われ、ほう、「私は目に滲みて痛いな~としか思ってませんでした」て言ったあと一ミリも吸う気はないけど「煙草を吸ってる女性が好きなんですか?」と聞いてみた。「いや、そういうわけではないんだけれど、匂いは好き」なぁんだ、煙にまかれて見えなくなるミステリアスさやアンニュイ感が好きとか言ってくれたら私も煙草を吸う女性に興味が持てたのに、「そうなんですか~」あ、でも、吸った煙草にほんの少し残る口紅の淡い色が好きかも。関係ないか。

匂いねぇ。煙草を吸っていた頃の父の枕は私と母と弟から嫌がられていたなぁなんて考えながら「煙草ってなかなかやめられないらしいですね」「姉がそれが原因で彼氏と別れたって言ってた」「やっぱり難しいものなんですかねー」

「難しいんじゃないかな、好きな人に言われても」

友達の彼氏もやめると言いながらいつまでも窓際に灰皿変わりのコーヒーの缶があって友達を不安にさせてたなぁ。ほら、煙草なんて馬鹿馬鹿しい。

両親が夫婦喧嘩をした次の日の朝、母が「今日、夜発表がありまーす」と告げる。何、と聞いても答えない。更に父も母も微妙にすっきりした顔をしている。遂に離婚か、はたまた四番目の娘か息子ができたか。どきどきしながら高校へ行く。夜、母の口から伝えられたのは「お父さんが禁煙します!」だった。なんだそれだけか。当時はそう思った。母が父にやめさせる理由は「体に悪いから」で途中父の車から煙草の箱が見つかって「何コレ」って問い詰められて、またもやヒヤヒヤした。だけど今は全く吸わなくなった。

私のお父さんは頑張ってやめましたけどね、愛が勝ちました なんて思いながら いつかのお父さんが煙草を吸う姿を想像して 両親に愛を証明してくれてありがとうと感謝した。

 

 

どこか忘れてしまいたいと思うもの

 

きれいじゃない思い出でも私を育てている

 

後期の初めの授業で先生は宇多田ヒカルさんの「桜流し」という曲をおすすめしたらしい。私は初回の授業を休んだから「らしい」ということにしとく。先生はラジオのように授業の感想をリスナー(生徒)から集ってそれを授業の始めにみんなの前で読む。私は40分遅刻したとき、懺悔した気持ちを綴ったら読まれた。ははは

私はこの先生が苦手なのだけど(懺悔したのを読まれたからではなく、苦手だから遅刻した)他の生徒には尊敬されていて「先生、宇多田ヒカル桜流し聞きます」と書いて読まれてそれに対して「聞きます、と言うのと聞きましたとでは大きく違います」とおっしゃった。次の週、「聞きました。素敵でした」とのお便りに対し、唐突に「宇多田ヒカルさんのお母さんは自殺をしたのです」と語り、続けて「この先人生で耐えられないようなつらい困難と立ち向かって行かねばなりません。そんな出来事が必ず起こります。みなさんはそのような壁をどうやって乗り越えていきますか?」と言い締め括った。

 

このとき、私は

 

 

忘れたいから書かないでおく。書いたら忘れるらしいけど、見たら思い出してしまう。

日記とはそういうもので 私は小学二年生から小学校卒業までの日記が実家にとってあるのだが、読み返すまで記憶がなくて「うんこ と あんこは一文字違いで、いとこと弟と大爆笑した」という内容に対して他人事のように バカだな~くらいの気持ちで読む。小学生の私は賢く、誰のことも信用しておらず、臆病で 孤独ということを知らない子どもだったので、一日中胃が痛いくらいストレスを抱えているのに、日記のためだけに頭をフル回転させ、その日にあった何気ないことを無理矢理楽しく書いていた。読み返すとそんなことあったんだ〜て思う。

「あなたの日記は面白いわねぇ」と担任の先生に誉められては、何がそんなに楽しいと思うんだろう。と不思議でいっぱいだった。そんな日記を母は大切にとって置いてくれている。

よかった 死にたいなんて書かなくて。

毎日そんなことばかり考えていたことを日記には一ミリも書かないで でも確実に記憶に残っている。これは私の中だけで親にも友達にも先生にも知られていないことである それだけが救いなんだ って私は思う。

よかった 散々な妄想の中から無理やりひねり出した幸せだけを残せて。もう、過去のことを笑えるくらいになれて よかった。振り返ったとき 私、消えない痛みを笑えるようになったら 強くなれているかしら。

 

たのむ

 

 

できれば、私の友達の悪口を言わないでほしい。嫌なところを言うのは百歩譲るから。どうしようもないことは言わないでほしい。

両親の悪口を言わないでほしい。私の半分と半分だから、私の悪口を言うのはいいから、直すし。根本的な否定をしてそれと似てると言って拒絶しないでほしい。

私が弱音を吐いた時、「おまえの立場じゃなくてよかった」というのは、もっとオブラートに包んでほしい。じゃなきゃ走って逃げてくれてもいい。

私が誰かの言葉に傷ついて怒ったり泣いたりしたとき、「気にするな」じゃなくて、無責任でいいから「そんなことないよ」「大丈夫だよ」って言ってほしい。

私が泣いたときはもう治まるまで泣かしといてほしい。明日からちゃんとするから。また泣くのを我慢するから。

ぐしゃぐしゃのままで放置しているのは次に進むまで触らないって決めたから、同じ時を共有していても、価値観は同じじゃないから思い出はまだ綺麗じゃない。

勝手に心配して勝手に安心しといてほしい。

喋んなくても、安心する距離でいてほしい。

私が寝付けなくても勝手に寝ててほしい。でも、たまには起きててほしい。

たまには私のことも認めてほしい。「がんばったね」って。

言いたいことは言うし、言いたくないことは言わないし、言えないことが何より多い。

ね、好きだったてこと いつか伝えさせてほしい。

 

 

2年2組22番

 

 

私は23番。

クラス替えって一人違うだけで残酷になったり、天国になったり。22番という数字に固執はしてないし、すべて2が揃うのがお似合いな友達が22番だったのでとてもよかったと思ってる。本当。

 

家を出て街を歩く。歩いている人はいないけど、接触しそうになる。向かってくる車と。

赤信号で横断歩道を渡るか渡らないか。青信号で横断歩道を渡るか渡らないか。選択は四つあるけど、大きく言って結果は二つ。生きるか死ぬか。青信号では死ぬ確率は低い。でも低いだけ。結果必ず生き残れるとは限らない。向かってくる車に跳ねられて死ぬかも。外にでるだけで ねぇ、ほら、家の中にいるより人生が良くも悪くも変わるチャンスが蔓延ってる。

外に出るか家のなかで引きこもるか、人生全て選択なのかもしれないけど、全部が全部選べるわけではない。置かれた環境、時代、周りの人間、与えられた才能、持って生まれた美しさとか病気とか。出席番号もクラスも、誰かに決められてきたでしょう。故意に選べないでしょ。

受験のひとつでもそう。毎年毎年が同じ倍率じゃない。流れ行く時の中で試験も変わってきている。どこで諦めるか、どこで受かるか、割りと自分の意思だけじゃ決められないような毎日じゃない?

だから、今、ここにいるのは運命だと思いながら過ごす。田舎の公立高校を受ける際に親に「私立(滑り止め)を受けるなんてお金の無駄。落ちたら家で家事してなさい」と言われた私からしてみれば、受かって本当によかった~!なんだけど、面白いでしょう。クラスのみんなは本命の学校に進むか、落ちて滑り止めかなんてなかなか心が揺らぐ不安定な受験。私は 落ちたら 家で 家事。中卒だからたぶん一生 家 で 家事 。揺らぐ受験なんてなくて まぁ 落ちたら落ちたで死ぬか、という不安定が安定する初めての受験をした。推薦で先に受かった友人に、「受かったよ~」って言ったら「大丈夫でしょ!」みたいな、当たり前でしょ!といったニュアンスの返事が返ってきた。

受験は信号みたいで、青になったからこっちに進んだ。みたいなところがある。友人からしてみれば、私がこの横断歩道を渡ることを当たり前として感じていたのである。青になるだろうって、これからも一緒に三年間過ごせるだろうって。よかったそんな風に思ってもらえて。そのあと三年仲良くしてもらえて。

自分が儲けた選択を信号に判断してもらう。私は生活のなかでたまにそれをする。あの信号が赤になったらドラックストアは行かないことにしよう、とか。目的地につくまで極力止まらないで進むみたいなルールを儲ける。まあ、今日はそんな運勢だよ みたいな気持ちで進む。

ただ、青信号でも時に事故が起こることを忘れてはいけない。安心してでも大事なことは目で見て耳で聞いて頭で考えて進めるのが吉。轢かれそうになる度に目を冷ます。しっかりしろって。

ほらほら、23番なりに楽しく過すんだ。置かれた場所でどんな選択が待ってる?とびきり面白い22番の子と仲良くなる大大大チャンスを中学の私は最大限に活かした。笑ったり泣いたり、次の年も前後だったけど、最高に楽しかった。

年をとるにつれてきっと選択の責任の重みは増していく。20歳の私にもまた自分の選んだ選択から神様に愛されて運命みたいな日々に向かっているのだと信じていたい。そのためにほら、今何しなきゃいけないか、考えて動くんだ。もう大人なんだから。

 

 

 

  

 一人で家で食べるときは餌みたいな雑なご飯を一応「いただきます」といって暴食するだけなので、さっぱり満たされないし、誰かと食事をしたほうが健康にも精神にも良いとは思うけど、人とご飯を食べるのが好きか問われると素直にうんと言えない。緊張するし。

 

食事って育ちがとても出る。

育ち、そだち、sodati

頭の良し悪しではなく育ち。ご飯を食べてるとき人は最も無防備らしい。生きていく上で必要なことだし、集中する。何かもぐもぐしたり味わっているときがすごく快感だと思うようになって焦っている。太る。というか太ってきてる。

たくさんあるマナーを教えてもらう場所は限られている。毎日続ける行為に躾を施すのは身近にいる人だろう。生きてきた過程で培われる育ちだ。躾が厳しいこと、外で恥をかかないための愛情なのだ。

肘をついて食べる。手を出さない。犬食い。お箸の持ち方。音を立てて食べる。他にもたくさんあるけれど、こんな単純なことでも出来る人は限られていると思う。

 

 

 

 

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私は3歳までちゃんと持ててたのにそれからこの持ち方にシフトして17年食事している。親が「3歳まではちゃんと持ててたのに」て嘆いている。

実家に帰ると妹の行儀の悪さにいらいらする。手を出さないし、箸を持つ手は肘付いてるし、食事は途中で投げ出すし。私は(父に散々「テーブルに手を出して食べなさい」って散々怒られたのに)と思いながら妹に「手を出して食べなさい」「肘をつかない」とぐちぐち言う。同じ親に育てられて同じ環境でご飯を食べて違和感を感じるとは。

この間 放送されていたりゅうちぇるさんの情熱大陸でりゅうちぇるさんが片手を出さないでお弁当を食べているとき、奥さんのぺこさんが「行儀悪いと思われるで」って注意していたのすごくよかった。妹はぺこさんが好きなので「気をつける」って言ってた。

人とご飯を食べるということは楽しい方がいいに決まっている。気にしないほうが勝ちなのかもしれないけど、不快感を与えず、なおかつ綺麗に食べるのが目標。

とりあえず、私、ハタチ、お箸の矯正に取り組みます!

 

 

 

 

 

 

ばいばい

 

 

自分の思っていることを口に出すことがこわかった。

ひとりで抱えていたことを初めて伝えた。

電話を切る前と話の途中の空白を思って、ようやく涙がとまらなくなって目から流れる涙があたたかいことに気づく。

過去と今と会わなかった二年間とこれから、を

そうだね、そうだね、ありがとう

私はあと一週間くらいめそめそするかもしれないけど、

しゃんと背筋を伸ばして生きるから

言えなかったけど、こころから思ってるよ 幸せになってね

さようなら

 

今週のお題「卒業」

 

 

 

出汁って何度でも「でじる」って読んじゃうな

 

 

ダシってちゃんと読もうな

 

 

 

小さい頃お世話になってた給食には本当はリッチな食事だったのだなあと最近になってしみじみ思う。中学生まで嫌いな食べ物が 野菜 だったため、副菜と汁物は小学一年生のときの担任の先生との「嫌いなものを一口だけ食べる」という約束だけを守って残してた。

正直、嫌いな食べ物は野菜だけではなくって、記憶がないくらい小さなころは赤と緑の食べ物を口にすることを拒絶していたらしく、父曰く、「目隠しをしたら食べてた」らしい。見た目だけで食わず嫌いをしていた。 本当に嫌いな食べ物ベスト9くらいはオエってしながら食べていた。なんであんなに嫌いな食べ物を飲み込む瞬間が苦しかったんだろう。厳しいお母さんの前で涙目で食べていた。本当にゴメンなさい。次第に食べられるものが増えてきて、頑張れば 意外といけるもんだなと思ったり たまに思わなかったり。ある程度大きくなってからうちのお母さんのご飯はとびきり美味しいことに気づいた。

 

 

食べれるようになった食べ物にも順番があって一抜けぴしたのはいちご と かぼちゃで、最近(好きではないけど)食べられるようになったのはトマトである。みんなの好きな野菜、嫌いな野菜ランキング ともに堂々の一位 tomato .

中でも最近の食べられるから好きに変わったのが 味噌汁 だ。小さいころは具が野菜なのと最後に残るつぶつぶが喉に引っ掛かりそうな気がして、野菜を食べた、頑張った。というわけわかんない理由でつぶつぶを残していた。皿洗いをする人間からしたら最悪だなと思い始めてからようやっと一気飲みするようになった。

一人暮らしを始めて大好きな友達と電話で「自炊をするか」という話題になったとき、「カレーとシチューと味噌汁のローテーションで生きている。おすすめは味噌汁!ほっこりするよ!」と言われ、ほっこりをくれる友人がほっこりを受給しているツールなら信頼度5000パーセントですわ と思って味噌汁を作って飲み始めた。卵かけご飯生活に+味噌汁。大変ほっこりする。満たされる。

しかし、お金のない貧乏学生は具がないことが多い。ちびちび飲んでは一息をつく。飲む要素しかねえと思っていたが、ここであの毛嫌いしていた味噌汁の最後に残るあのつぶつぶが唯一噛める 具 だと気づく。最後の一口だけをうんとよく噛んで舌の上で食感を楽しめる存在だと思うようになって最後に残るつぶつぶがようやっと好きになった。