ビスコを食べて

 

涙の数だけ強くなれたら今ごろ最強だってーのと新宿ルミネの下着屋の前でビスコを食べながらそう思った。

 

キラキラの装飾、ピンク色の床、カラフルなレース

 

入れない

 みんなどんどん出入りしていく。女子高生からおばさんまですんなり入っていく。私にはその権利がないような気がする。今日はくたくたのスーツで、ひとりで無料で座れるところを探してビスコを食べているこんな私が立ち上がって姿勢良くあの空間に入っていくことなどできない。下着屋って、ランジェリー店と思い浮かばなかったから入る資格がない。あの女、スーツであんなとこはいりやがった。くたびれた就活生が時間つぶしに入るなよとか思われてそう。

 サイズとか、柄とか、色とか、値段とか、顔の偏差値とかから、人前で下着を買いたくない気持ちが大きい。もっぱらネット通販だ。口コミをよく読んで、ワンサイズ小さいやつね!オッケーとか、判断しきれないときは、見に行って試着しないで帰る。自分でもどうかと思う。

それでも私は生活の中で毎日の服を選ぶより、下着を選ぶ方が楽だ。人に見られないから、好きな柄の下着をつければいい。付け心地がいいのをつければいい。明日の服をこれにするならこれにしようとか。正解が全て自分にあるような、人に見せる機会がないからこそ、好きに、自分のために選べばいい。私は人より胸が大きい。鏡の前で下着姿でいる自分をみてあぁ、おんななんだってしみじみ思う。

お洋服だって同じく選べばいいのにね

ビスコはいつ食べても等しく優しい食べ物なので強くなれなくても、大好きです。

 

不透明から

 

 

知り合いに10月生まれがとても多い。毎日誰かの誕生日だった気がする。

人の誕生日を覚えるのが得意だったが、20歳の誕生日の夜、バイトで5年に一度の衛生調査が次の日に入るからという理由でお店を閉めた後に普段は業務内容に組み込まれていない「トイレ掃除」をした。店長に「お前は大変なときばかり(シフトが入っている)だな」と言われ、分かってた上で人の誕生日にシフトを入れてきたマネージャーのことを横目に、私の人生こんなか、誕生日ですら他人の悪意に支配されるのか、と思った。

バイトが終わってアパートに着いたら、玄関のドアノブにタラコとコンビニスイーツが入ったビニール袋がぶら下がっていて、友人2人の名前が書いてあった。私がトイレを掃除している間にこれを買ってきてくれて下げて二人でどこかにご飯を食べに行ったんだろうなと予測できた。余計に悲しくなって玄関でうずくまって泣いた。

他人にとって誕生日って割とどうでもいいことなんだな、というか、私がどうでもいい人間なのかなと思い知らされて、ずっと抱いていた誕生日の特別感がスッと消えて人の誕生日を覚えるのが苦手になった。このエピソード一生忘れる気がしないな。

暗い気持ちになりましたね。

 

この調子で大事な友人の誕生日をすっぱり忘れていて猛省した。2日後に本当にごめんと謝罪しておめでとうと連絡した。最低だった。

 

誕生日といい、年賀状といい、物理的距離が離れた相手との安否確認のように連絡をとる手段のようだ。今年は自分から何人かに送った。二人から返ってきて、何人かはラインで、一人くらいが音沙汰なしだった。自発的に行動しないと私には繋がりなんかどこにもないんじゃないかと思う。しかし、来年は喪中だ。母から喪中のハガキ何枚欲しいか問われたが贈る相手の顔が全く浮かばなかった。とりあえずの「2枚お願いします」と答えた。

 

みんなのインスタグラムに映る思い出の写真や複数で撮っている写真に自分はいない。タグつけされたこともない。「来年就職先はどこなの?」に答える必要性はあるのか分からない。遊ばないでしょう。新しい環境と新しい出会いにより私と会う時間なんてないでしょう。それが分かっていて今遊んでくれる友達が好きだ。割り切ってて「来年からはまた新しい友達ができるんだよ」これで離れ離れになるのは分かっているよ。だから今遊んでくれる友達が友達だ。

人間関係なんてそんなものなのよと時々言い聞かせる。要るものと要らないもので分別するのはこの居場所があるからで、次へと移動する際には、要るもの・要らないものじゃなくて大切なものだけなのだ。

空気がうんと冷たい。シンと染みる。始まったばかりのように思うけどもう終わりなのだ。終わりに向かって平らになっていくだけ。

何かしたかったら、何か残したかったら、自分で動くのが一番楽で早くて簡単なんだけど、全部やろうと思うとしんどいから協力してくれる信頼できる相手がいるといい。なんで私ばっかり!で怒ってしまうくらい私はまだ力もなくて強くもない。そんな信頼できる相手もいないから全部諦めて歩くんだ。こんなんでいいのかな。誰も白黒はっきり教えてくれないグレーのまま、そのうち見えなくなってしまうんだろう。

 

 

前を向け

 

久しぶりにブログを書く。

最近は専ら、思ったことは言うという戦略に変更しているので、考えたことを外に出す機会が多かったり、何も考えていないだけなのかもしれない。

でも、好きなものや好きな理由を大きな声で言わないようにしたい。大切なことは書き記すか、自分の中だけで抱きしめていよう。安売りしないでいこうと人付き合いのなかでふとなんとなく強めに思うのだ。だから久しぶりに更新する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「卒業したくないなあ」

と呟く同じ学科の人間のその言葉の指す意味を考える。友人達と思うように会えなくなるからなのか、この学生という名の時間の使い方なのか、好きなものを好きなように作れるこの環境からか、この人が少ないのんびりとした土地を離れたくないのか。どこをなぞっても「卒業したくない」という感情にピンと来なかった。私にとってはお金を自由に使えない、この慣れた早々劇的に変わることもない温い人間関係という環境は絶賛変えたい。あのアパートは好きだし、この人の少なさ加減は丁度いい。強いて言うなれば、週に一回ゼミ室に集まり、みんなでお話しているときに小さな声で発生する内緒話を「え?なになに?」とニコニコして聞いてくる普段は見せない先生の可愛いお顔を眺めてたいと思う。

でも、言っても私はデザインすることが怖い。何が綺麗で流行りで廃りで今っぽくてかっこよくておしゃれなのか。自分に似合うもの、合うもの、正しいものを判断することも困難なのに、自ら作り出すというのはよく分からない。みんなで同じ課題に取り組んでいるときに、正解不正解が分からない。大きく外してしまっているものは分かるけど、自分が作り出すものに自信が持てない。よく見て感じて研ぎ澄ますしかない。でも見て感じて真似をしてしまうように感じている。ピンタレストもインスタグラムもどこか怖い。デザインを学ぶために先生のゼミに配属したのに、このざまだ。卒業を引き止める理由は見当たらない。

先生はいつも声が小さい。自覚しているのに声が小さい。だから大勢で授業するのに向いていないと思う。一年生のときに声が小さくて聞こえないのと、難しい話をしている気がしてこの人には近づかないだろうなと思っていたが、ゼミに入った。第一希望は違ったけれど、そういう運命なんだと受け止めた。たぶん合っているだからここに配属されたのだとなんとなく納得させて手探りでゼミに出席していた。

四年生がするのは卒業制作だ。卒業制作をするにあたって、多くのみんなは「絶対に賞をとりたい」または「卒業できればいい」と口にする。先生はなんかの話の流れで「卒業制作をしてそれが生きる力になればいい」といつものように小さな声でふと言った。当たり前のことであるように、いつもと変わらない温度で、それがうんと大切なことであるようには話さなかった。それを聞き逃さなかった。

 

 

教職の授業でよく「生きる力」という単語がでてきた。生きる力を育む授業を行おうと指導される。果たして「生きる力」とはなんのことを指すのだろう。国語でも数学でも、理科社会英語美術音楽体育じゃない。自ら考えて選択していくことを指すのだと私はそれらの授業で解釈し、レポートを何枚も書いた。

 

 

でも、先生がおっしゃる生きる力とはまた別のことかもしれない。この経験がふと折れそうになったときに自分を繋ぐきっかけに、記憶になればいいいうことなのではないかと勝手に思っている。

だから私の卒業制作の目的は賞をとることではなく、卒業するのはもちろん、だけどちゃんとここを卒業しても、先生のもとを離れてもなお、生きていく力を身につけるのだ。どちらのモチベーションにも揺らがないで、考えて、私の大切を大切に守って完成させるのだ。そうして最後の学生生活を彩っていく。振り返ったときに見える色は違えど、形として残る思い出を記憶を作るのだ。

 

あと半年、週に一度先生の美しいお顔を眺めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#わたしの自立

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アシ

 

「裁判所の方ですか?」とかなり滑舌の悪い男から電話がかかってきた。(携帯なのに裁判所なわけねーでしょ)と思い、「いいえ、違います」とブチっと切った。電話番号を検索したら警察署だった。

次の日、警察署から再び電話がかかってきた。「6月に届出を出していただいてた自転車が見つかりました。いつ頃取りに来れそうですか?」という内容だった。もう見つからないだろうと思っていた自転車。届出を交番で出したときに「防犯登録がこの県ではないので難しい」と言われた。防犯登録は各県ごとに違うのは分かってたけど、どんな意味を持つのかさっぱりだった。錆びていたし、電気はつかないし、就活で東京へ行って帰ってきて、とめたはずの駐輪場を5周したりして探したけども、なかったので諦めていた。「明日、晴れたら取りに行きます」と答えた。

次の日、とても晴れた。自転車に乗って帰るつもりで歩いて警察署へ向かった。私が予想していた警察署は、市役所だったので思いっきり通りすぎていた。10分遅刻して警察署にたどり着き、手続きをして私は自転車を取り戻した。前輪に空気が入ってなかったり、黄色い札が張られていたり、予想より錆びていた。歩いて引いて帰ってきた。

自転車を盗まれていた間、同じアパートの子がアパートにある放置自転車を綺麗にしてくれて、使えるよ!と言ってくれた。ありがたく使わせていただいてた。電気は着くし、錆で鍵がかからないこともない。強いて言えばブレーキをかけるとき、「キキィイィィィ」とうるさいのに困ったくらいで元々乗ってた自転車よりずっとずっと使い心地がよかった。あと、防犯登録をしてあったので、警察に捕まったとき、私は盗難で被害届を出しているくせに、放置自転車を使用しているということが、窃盗に値してしまうのではないかという不安はあった。

自転車一台盗まれたと、親戚や大人に伝えれば、「自転車あげる?」と色んな人から手を差しのべられたが、あと半年も乗らない自転車をこのアパートへ増やしても放置自転車になりそうな未来が予測されたので断り続けた。そんな三ヶ月だった。

見つけてくれた人、代わりを探してくれた人、提供してくれた(しようとしてくれた)人たちがたくさんいてありがたかった。

錆と空気の入らない前輪のタイヤを見て、これを再び使うか悩んでいる。なにはともあれ、一度手放した気でいたものがこうして戻ってくるということがありえるんだなあとしみじみ思った。

 

 

AEDの講習を受けに行った。グループで、代表が行けば良くて、8人の中で私だけが行くことになったことにイラつきながら、人生で何回目だよと思う講習を受けた。

人形に息を入れてアルコールで拭いたのを間接キスで回すのが嫌だ。(行きたくなんかないけど)誰かが行かなきゃいけないなら私が行くよと言って参加した。飲み込めず、外にも吐き出せない気持ちをズルズルしてしまって相手を不快にさせないために自分の機嫌が悪くなるやつ、いい加減やめたい。

四人グループで1つの人形を使ってAEDを使う練習をした。知らない3人と一体の人形を何度も回していった。手を抜きたくてゆっくり心臓マッサージを行う。まわりの皆はその倍くらいの早さで一生懸命やっていた。自分の番が回ってきて人形の顔にまじまじと目を向けたとき、おじいちゃんが死んだときの顔に似ているなと思った。ガンで痩せこけた輪郭、ちょっとだけ空いている口、もう開かないんだろうなっていう瞼。心臓がとまった状態の人の顔をこんなにリアルにする必要なんかあるのだろうか。おじいちゃんに似ている、おじいちゃんより確実に若い人形に息を吹き込む。使い終わった後、エタノールでその口周辺は丁寧に拭かれる。作業が終わる度に同じグループの男子は「ハイ、生き返りました~」と言う。生き返らないよと思う。もう棺のなかに入っているくらい穏やかな顔をしてるもの。

あたたかいココアに浸かってとけて死にたい

 

もう秋じゃん

 

ひとりで部屋にいる。部屋で絵の具で絵を描いたり、お腹が痛くてうずくまったり、こうしてブログを書いたり、スマホを見て虚無の時間を過ごしていたらすっかり秋になっている。午後になったらバイトへ行く。毎日そう疲れた。

昨日は海の方で花火大会で、友人が彼氏と浴衣を着て見に行くと楽しそうにしていた。下駄を買ったり、浴衣の写真を送られてきたりした。全部丁寧に返信したつもり疲れた。

バイトが終わって、自転車でアパートへ向かうと小さくトンと音が聞こえた。立ち漕ぎしながら振り返ると遠くの方で花火が上がっている。荷物を一通りおいてひとりで近くの川の橋を登って遠くで打ち上げられる小さな花火を見た。大学四年目にして始めてみた打ち上げ花火だった。まわりは家族連れで打ち上がるたんびに子どもたちが「たーまやー!」と叫んでいた。やっと、やっと見れたと嬉しくなって写真を撮った。カメラ越しの花火はより小さく映った。妹にラインで報告をした。

「花火ちっちゃ」「大学生になってやっと初めて花火を見たよ 今まで何していたんだろうねお姉ちゃん あ、バイトか(涙で前が見えない)」と送ると、「しょうがないよ大学の勉強もあったんだし お母さんが「やっとわかってきたか」って言ってるよ」と返信があった。

赤い花火が私の視界でちょっと揺らいだ。毎日がそう 私はひとりでいることにも、誰かといることにも疲れてる

これからひとりで強く強く頑丈にならなきゃだね あんな風に最後は綺麗に散りたい ね

 

 

 

大人になっても

 

 

長縄跳びのことを考えながら炎天下の中、補講期間と呼ばれる今日も学校へ向かった。

アパートから学校までは坂、上り坂。ドンキで買ったけど小さくてはけないからと譲ってもらった黒いスニーカーの底が薄いのか坂を半分も登っていないところでとても熱くなる。

今日は長縄跳びについて考えながら登校した。

 

八の字に走り、跳んでいく長縄跳び。私の小学6年生の頃の担任の先生は、長縄跳びに力を入れていた。ひとつ上の先輩たちを越えよう!と一年前受け持っていた先生のクラスの最大跳んだ回数を伝えられ、体育の時間に一分間に跳んだ最高記録だけが黒板に更新されていく。

正直、運動全般が苦手だ。走るのはクラスで二番目に遅かったし、泳ぐのも母親が心配して25m泳げるようになろう!みたいな三ヶ月限定のスイミングスクールに通わせてくれて、やっと人並みに泳ぐことができた。

長縄跳びは冬の間だけ行われていた。先生と一人の生徒が縄を回して残りの生徒が走って縄の中に飛び込んでいく。田舎の小学校だったので同級生が10人。縄を廻す生徒が抜けて9人。テレビで見る同い年くらいの小学生は30人くらいの生徒が自分の番を待って縄を跳んでいたが、私たちはたったの9人。誰かが休めばそれ以下で、ほぼ一分間走り続けながら縄の中に飛び込んでいく。

上手く跳べるかな、ひっかからないかな、後ろの子に、前の子に迷惑をかけてないかな、私の体に縄がまとわりつかないかな、跳びながらいくつもの失敗を予想して緊張していた。ストイックに記録を更新し続ける日々にドキドキしていた。運動音痴だが、廻す方にはいかなかった。保健室登校気味だった胸の大きい子か、もう一人回したいと立候補する男子に任せていた。

誰かが失敗すると安心した。あ、これで最高記録は更新されないなって、私がひっかかっても私だけが責められるわけじゃないもんなって思った。

誰かが失敗するまではドキドキしながら、でもちゃんと跳んでいた。みんなと同じように前の子にくっついてって見えない縄の音と一緒に跳んで抜ける。緊張感でお腹がキリキリし、息も切れ切れだったけど、はみ出すことなくリズムにのることができた。

 

 

人生って長縄跳びみたいだなってふと思った。一緒に成長していく過程の横にいる人間と同じように進学したり、就職したり。高校に無事入って卒業して、来年の3月には大学を卒業し、4月から働く。私は大きな目で見るとあんまり引っ掛かることなく過ごしてきている。別にそれが立派なことではない。もっと高く、速いスピードを設定すれば、ひっかかってしまったかもしれないが、自分にあった/もしくはレベルの低いところをぬるぬる生きているだけかもしれない。

細かなとこではたくさん躓いている。化学で赤点とったり、バイトが上手くいかなかったり、親に反抗したり、失恋したり、運転免許を持っているが自分の運転で酔ったり、一人で夜泣いたり。

大事なことはたぶん、躓かないでみんなと同じように跳ぶことじゃない。

躓いたときにどうやってそれを乗り越えるかだ。そしてその本質として問題をどうみるか、どう解決するかの視野を広く持たなければいけない。跳び越えるためにどうしたらいいか、その解決方法を分かっていれば問題はないけれど、間違っているとき、分からないとき、きっと努力だけでは埋まらないときがある。そういうとき、周りの人間に聞いてみる。正解を知っているかは分からないけど、自分が見えなかった解き方を知っているかもしれない。周りの声を鵜呑みにしなくてもいい。選択と決断をして行動するのは自分だから。ただ独りよがりにならない方がずっといい。自分を別の角度から見てくれるそんな人がいるといい。これはある程度いるけど、わざわざ伝えてくれる人はいないから自分から聞きにいかなければいけない。ただ自分のことを話して話に焦点を当てながら慎重にね。

正しい方向に努力すればきっと跳べるから。頑張っているところを見てくれる人はいると思うから。腐らずにね、もう少しだよ。跳んだ先にはあんまり変わった世界はないけれど、それはきっと自信に変わっているからね。

失敗して諦めても生きてね。その失敗の努力はいつかまた別の縄を跳ぶための解き方になるからね。

 

 

幼稚園の時、走り縄跳びできなくて、私だけ回すフリしながら運動会でて、お母さん泣いたそうです。本当にごめんなさい。

縄跳びずっとずっと苦手だな。たぶん生きてくのもずっとずっと人より練習するか、ハードルさげてやってくしかないんだろうけど、ひとつひとつ積み重ねて人生だからね。リズムにのるんじゃなくて自分のリズムを生きていこうね