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どこか忘れてしまいたいと思うもの

 

きれいじゃない思い出でも私を育てている

 

後期の初めの授業で先生は宇多田ヒカルさんの「桜流し」という曲をおすすめしたらしい。私は初回の授業を休んだから「らしい」ということにしとく。先生はラジオのように授業の感想をリスナー(生徒)から集ってそれを授業の始めにみんなの前で読む。私は40分遅刻したとき、懺悔した気持ちを綴ったら読まれた。ははは

私はこの先生が苦手なのだけど(懺悔したのを読まれたからではなく、苦手だから遅刻した)他の生徒には尊敬されていて「先生、宇多田ヒカル桜流し聞きます」と書いて読まれてそれに対して「聞きます、と言うのと聞きましたとでは大きく違います」とおっしゃった。次の週、「聞きました。素敵でした」とのお便りに対し、唐突に「宇多田ヒカルさんのお母さんは自殺をしたのです」と語り、続けて「この先人生で耐えられないようなつらい困難と立ち向かって行かねばなりません。そんな出来事が必ず起こります。みなさんはそのような壁をどうやって乗り越えていきますか?」と言い締め括った。

 

このとき、私は

 

 

忘れたいから書かないでおく。書いたら忘れるらしいけど、見たら思い出してしまう。

日記とはそういうもので 私は小学二年生から小学校卒業までの日記が実家にとってあるのだが、読み返すまで記憶がなくて「うんこ と あんこは一文字違いで、いとこと弟と大爆笑した」という内容に対して他人事のように バカだな~くらいの気持ちで読む。小学生の私は賢く、誰のことも信用しておらず、臆病で 孤独ということを知らない子どもだったので、一日中胃が痛いくらいストレスを抱えているのに、日記のためだけに頭をフル回転させ、その日にあった何気ないことを無理矢理楽しく書いていた。読み返すとそんなことあったんだ〜て思う。

「あなたの日記は面白いわねぇ」と担任の先生に誉められては、何がそんなに楽しいと思うんだろう。と不思議でいっぱいだった。そんな日記を母は大切にとって置いてくれている。

よかった 死にたいなんて書かなくて。

毎日そんなことばかり考えていたことを日記には一ミリも書かないで でも確実に記憶に残っている。これは私の中だけで親にも友達にも先生にも知られていないことである それだけが救いなんだ って私は思う。

よかった 散々な妄想の中から無理やりひねり出した幸せだけを残せて。もう、過去のことを笑えるくらいになれて よかった。振り返ったとき 私、消えない痛みを笑えるようになったら 強くなれているかしら。