めくるめくみらい

 

 

明日から新学期ですわ さてはて

 

 

youtu.be

人は変化を嫌う ということが分かりすぎるこの歌。さすが大森先生

この曲の共感する私の意見は親を始めとした親戚のみなさんは私をこの「さっちゃん」のように思っているということ

 

成長しないで さっちゃん

茶髪にしないで さっちゃん

彼氏つくらないで さっちゃん

僕の特別 僕の特別

 

制服のスカートを捲ったらみんな声を揃えて注意してくること 髪を染めたら否定されること マニキュアをつけたら不良だといわれたこと 「彼氏できた?」と確認のように聞いてくること 深夜のバイトに反対なこと でも、バイトはしろということ ピアスはイヤリングでいいでしょということ 安いところでなら下着を買ってあげると言われること 周りを見てこんな風に金銭感覚が違うということには「言わなくていい」けど言わなきゃなんで言わないのと言われること 毎日生存確認の為のおやすみのラインがくること 夜3時間くらい返信をしないと荒れること

大事に思われていたからこそ育って欲しくない 誰にも懐かない人見知りのままの 怒られても反抗しない小さな小さな娘で孫で姪でいてほしくて 164cmにもなって自分の意思で親元を離れて経済的な負担を任せきりにせずアルバイトをし でもそれに伴った変化はいらないということ 同じところに立っていてほしいということ 分かっていたいということ くらい世界を知ったことは知りたくないということ 健やかでいればいいということではなくて節約をして贅沢はしないで生きていきなさいということ そして卒業したらもどってこいということ

今日は曇った空みたいな色の退屈を食べたよ お望みの通り送られてきた地味なベージュのセーターを着て無駄遣いをしなかった えらい?友達もあんまりいないよ 飲み会にもいかないよ 今日も怒られながら稼いでるよ 店長は笑顔が足りないって お客さんは容姿について笑ってきたよ マネージャーに怒られて育ってきたのがばれちゃった 新しくできた手の黒子について調べたら「虚栄心」と「警戒心」の表れだって。20年生きてきたことを否定されたら悲しいけど まあ別にいいけど 私これからどうやって生きてけばいいのかなぁ 私も幸子がよかったよさっちゃん

 

苗字がきらいだからはやく結婚したい

 

小さい頃いじめられたので。

更にそういう言い間違えをしてにやにやする人も卑しいので。

 

 私にこの漢字は似合わないからこの人とは結婚しないだろうなって付き合ってもいない好きな人について考える脳ミソ半壊花畑牧場。友達に上の名前も下の名前もなんかしっくりこないからfull nameで呼ばれてるの面白い。仮にそのこから呼ばれるための源氏名とか考えてもらおっかな。わはは

 結婚願望がある。でも、結婚て責任があることなんだなって最近しみじみしている。結婚しているときの浮気と結婚していないときの浮気とか、仮に子供ができたとして自信があっても得意じゃなくても育てなくてはいけない義務?があるのだなって、生まれて初めて読んでいる自己啓発本に書いてあった。お母さんもお父さんもすごいなって思う。ニュースをつけると「床に誤って落ちたと思われた子供が実は育児に疲れて1才の娘を床に叩き落として殺した」などと放送されている。親は親で色々あるんだろうけども、ここまで振り返る機会があるくらいに生きてはいる。生かされている。

 結婚したい というと「できるよ」っていう人と「あなたが?」っていう人がいる。「結婚して生活するイメージはできるけど、恋人がいるイメージがない」と一人の友達がみんなの意見を的確にまとめてくれた。

 そう。彼氏がいない。できたことがない。両思いになったことがない。だからお付き合いをしたことがある幼稚園児も小学生も中学生も尊敬している。高校生よりもたぶん小さい子達の方が本能的で理性がありそうだから (みんながみんなではないかもしれないけど)好きという感情を・お互いが・お互いを好きであるタイミングで・思いを届けることで関係が成り立つ瞬間があるってすごいなって。そうやって私もあなたも生まれたのだろうけど。まず、私は人を好きになることがなかなかないので本当に貴重な一瞬を重ねていらっしゃるのだなと思います。

 それを結婚となるとさ、割とありがちな「好きではないけど付き合う」という大人の関係からは外れるわけで、ガチでしょう。ガチで好きじゃなきゃプロポーズなんてありえないし、OKもでないでしょう。大人の事情もあるのかもしれないけど。この人と一生生きていくんだって確認しあえる機会があるって私には眩しすぎる。ウッ目が,,,

 だから「あなたが?」って言う人達にはあー分かる(分かりたくない)と思うけど、「できるよ」といってくれる人には「ありがとう」と思う。根拠がないと自信はつかないものね、はやく誰かを愛し 愛されたいな

 

 

 

春からセーラー服

 

女子高生って最高。みんな同じ制服を着ているはずなのに個性が一番分かりやすくて大好き。彼女たちは学校内での上下関係とか決められたルールの中で めいっぱい自分を魅せる方法を知ってる。スカートの丈・開けたシャツのボタン・リボンやスカーフのカタチ・紺か黒のソックスの長さとワンポイント刺繍・制服のポッケから出ている携帯のストラップ・友情や彼氏の所有を示すキーホルダーや名札・放課後だけつけるピアス・夏休みだけ染めた茶髪・指定のセーターの下から覗く色とりどりのカーディガン・髪を結うためのゴム・絶対固定のアイプチ、前髪・お揃いのミカサのカバン・harutaのローファーの色とつま先の形・朝からしっかりアイロンをかけた髪の毛・プールの後に見える 朝直したはずの癖っ毛・シャツが透けて見えるブラジャーやキャミソール・体育後のシーブリーズ・友達と食べるためのお菓子・お母さんが作ってくれるお弁当・ラケットを持って登校・ばれないように見る英語の小テスト前の授業の単語帳・友達に書かれた落書きだらけのノート・どんなに暑くても頑なに着ない半袖のシャツは長袖のシャツを捲って スカートも捲って・どんなに寒くても履かないタイツにおろさない捲られたスカート。

 

髪の毛からつま先 香りまで とってもとっても尊い

 

制服があるからこそ私服が新鮮で 勝負で 校則があるからこそ彼女たちはルールの中で征服しようと足掻く。怒られても 自由を謳歌するために戦うんだ。みんなと同じ制服だけど 己の武器を強く持っている。そして口を大きく開けてその時を仲間と一緒に笑うんだ 今が一番 みたいな感じで。あの子らにはかなわない

絶対的な女の子 。

 

 

ラインのトーク消す派?消さないでとっとく派?

 

初めて手にした「自分の」携帯がすでにスマートフォンの現代っ子

手にしてから半年くらいでクラスの仲がいい子に教えてもらったライン。始めたばかりのときはクラスの人ほとんどやってなかったのに、もうみんなラインやってる。大嫌いなラインのはずなのに便利な時代にこの間大変感謝した。

さて 私はラインのトークをガンガン消す方の人間です。ラインに限らず、カメラロールだって消すし、メールも用がないなら消したり消さなかったり。なんなら、自分から用事がなければラインの友達かも?は追加しない。容量に困っている訳ではないけど、見返すと「授業の出席カードに名前書いといて!」しかトークの内容がないと、友達とは…?私はもしかしてパシ…………と息絶えてしまう。人を考えすぎて情緒が不安定になるのでたぶん向いてないのだ。

今日は課題で徹夜だー!オールだ!と戦いの夜に友人三人から徹夜で作業をする旨の連絡がきて、一人の戦いじゃないんだ~と浮かれていたら深夜一時頃みんな急にパタリと連絡がこなくなる。全員が顔見知りじゃないはずなのに。急に寂しくさせないでくれ。

 携帯電話が身近にあることで人との距離を近く感じるように錯覚するけど、結局のところそれぞれの生活があってそれぞれのタイミングがある。私だって朝七時くらいにやっと終わって二時間寝るか…というタイミングで「寝てた。授業中やらなきゃ。赤点かも、やば」なんてラインが着たところで返信はしない。イライラしてるときには返事をしないことにしている。おやすみー!と叫んで目覚ましをセットしてやっとの思いで眠りにつく。

携帯を持ちはじめて五年目。自分の習慣と人との複雑な距離の取り方をようやっと図れるようになってきた。ラインは嫌いだけど、時間を合わせてやっと電話がつながったとき、なかなか現代ぽくない感動を味わった。気軽に電話できない相手の声を聞きながら自分の気持ちを伝えたとき、手にあるこの携帯電話がすごい機械なんだなってしみじみしながら文明に少し感謝したのである。

 

特別お題「おもいでのケータイ」

sponsored by KDDI

5%オフで欲しかったもの

 

本当に欲しかったものはなんだっけ

 

イオン系列や某薬局で5%オフの日に買おうって思ってもその日になったら何が欲しかったのか分からなくなる。

本当に必要で欲しいものはその場で買っちゃうのに、いつか、また今度ってすると結局忘れてしまう。お財布と相談して節約をしようにも、だいたい買えなくてまた次の5%オフの日に、と先伸ばしにする。今日もお風呂用洗剤買えなかったことを思い出した。

 

本当に欲しいものはその場で買えばいい。手にいれればいい。

これができないからいつまでたっても大人になれない私は立ち止まっては困る。あ、シャンプーないんだったって気づいて夜中に買いに自転車を走らせては虚しさを噛む。

人間関係はこれに似ていて、まあ、あとで伝えればいいか、とか何も言えないままその場に立ち尽くしてる。五パーセントオフの つまりは相手の気分や顔色、伝えるべき場所、あらゆる場面でここだっていうタイミングを狙って人と関わってたら本当に欲しいものはさっぱり手に入んなくて私はついに泣きべそをかいてしまう。ただただ助けてと言えなくて「泣けてよかったね」なんて言われてそのまま家で一人過呼吸を起こしては外に出るのがこわくて震えてる。五パーセントオフなんてなくていい。泣いて苦しくて でも生きる。現金で欲しいものを原価で買う。お金も時間もないなら別のところ削るし、そのための努力をする。伝えるタイミングを作る。多少のわがままが許されるような いいこじゃなくても可愛く生きられるような努力をする。

明日はご飯を食べる。久々にお米をセットした。今日はもういいでしょ おやすみ

 

初めて行った献血で色々貧血

 

 ずっと献血に憧れていた。別に注射が好きなわけではないけど、親がしているのを見て小さい頃は泣いてたらしいけど、ずっとやりたいって思ってた。

 初めての献血は仙台のアエル。ガラス張りのビル、確かF12。二階の入り口の庇には大きなヒビがはいっていた。一週間くらい前に報じられた 私と同じ歳ぐらいの女子大生がビルから転落して、とび降り自殺の疑いで調査を進めているというニュースを思い出した。F12から見る仙台の景色は灰色で小さい四角い建物がずっとずっとどこまでも敷き詰められているんじゃないかと思った。私はどっちから来たんだろう。あいにく天気は曇っていて街は人なんか住んでないんじゃないかって思うくらい濁って見えた。さっきまでいた地上とは違う世界なんじゃないのかってクラクラした。献血のあとだったから貧血だったのもあるのだろうけど、人の命を救うための活動をしているこのビルで人がとび降りて死んでしまったこと。 SNSで「死ぬなら人に迷惑をかけないで死のう」って「自殺はダメだけど人に迷惑をかけるのはもっとダメ」ってつぶやかれているの見て いや、自殺の方がダメだよって人に迷惑をかけてでも生きていて欲しいって、ていうか薄情だって思って そう思って生きてっていいの?ってわけわかんなくなってまたクラクラしていた。私とそう歳も変わらない子がもしかしたらここよりも高いところから、落ちたという事実と自ら日々の生活を終わらせようとしたのかもしれないということ、それを死ぬのならと仮定して、他人をどうとか考えられなくて、ただただ怖い。死のうと思ったのは、そこまでに至るそれがあったから。人が自ら死を選ぶこんな世界からでるその意見は当たり前として取り上げられるのかな。大きな声の人の意見だけが届くだけなのかもしれないし、既に毒されているのかもしれない。無力だなって、ヒビを見つめてあの高さを思い出して「顔色悪いよ」って言われて我に返って考えるのをやめた。

 いや、やめようとしたけどいっぱいいっぱい抱えてしまって誰かにこれを軽くしてもらいたくて、隣にいた妹に言った。「ここでとび降り自殺をした人がいるんだって。あれはそのヒビなんだって」って。この子はどう考えるんだろうと思うのと2秒くらいあとにひどいお姉ちゃんだなって後悔した。こんな小さい子に自分の持てないものを持って欲しいと思うなんて。

妹は、「いじめられたらすぐ帰ってくるんだよ」って言って私の手を握った。

 また色んなのが溢れてきてぐちゃぐちゃになった。「うん。でも、いじめられるくらいなら学校行かないわ」って妹の手を握り返した。妹は私の顔を見て、笑い合って心が痛かった。

どっちがお姉ちゃんか分かんないなって思いながら、「ありがとう」って言った。

 

どうしようもなく陽はまた昇る

 

 黙祷をするべき時間に目が覚めた。「死にたい」と自分を呪っては眠れなくなった。いっそ泣ければいいのに、泣き疲れて眠れてしまえばいいのにと思うけど涙もでない。やっと日が上って明るくなった頃、眠りについた。完全に昼夜逆転だ。友人と気まずくなる夢を見て目が覚めたらその友人からのラインが着ていた。

 テレビをつける。どうかこの世で自分ひとりがこの日を迎えてしまったのではないということを確認する。NHKの画面の右上のliveの文字に安心する。これがテレビの嘘でもいい。曖昧な不確かな嘘か事実かも分からないことに救われて生きている。

 毎日のようにめそめそしては 泣いても何も変わらないのだと気づく。泣いて過呼吸になったってそれは精神的な問題だから死なない、安心しろとインターネットに書いてあった。泣いたって何も解決しない。死ねないのなら次どうするか考えなければならない。「今 死ぬとして現状に満足しているか?」と問われて、「満足と言うよりかはもういいか(悟り)」の気持ちが大きい。得体の知れない痛みから逃れたい。「社会の役にたちたいと思わないか?」と問われて「こんな社会の役に立つことよりかは、社会に殺されかけている人を救いたい」と願う。この人と話してていいのか分からない。ただ、分かったことがある。私は心の底から人を憎んでいるが同時に人が好きであるということ。

 されて嫌なことはしない。自分があぁだったらいいのに、こうだったらいいのに、と思うのだからそれに従って生きていきたい。泣いている人がいたら「大丈夫だよ」って抱きしめたい。ひとりで泣くのはくるしいから くるしいことを知っている私だからこそできることがあると信じていたい。

嘘。本当は早く誰かに救われたくてそれを願っているだけ。