どうしようもなく陽はまた昇る

 

 黙祷をするべき時間に目が覚めた。「死にたい」と自分を呪っては眠れなくなった。いっそ泣ければいいのに、泣き疲れて眠れてしまえばいいのにと思うけど涙もでない。やっと日が上って明るくなった頃、眠りについた。完全に昼夜逆転だ。友人と気まずくなる夢を見て目が覚めたらその友人からのラインが着ていた。

 テレビをつける。どうかこの世で自分ひとりがこの日を迎えてしまったのではないということを確認する。NHKの画面の右上のliveの文字に安心する。これがテレビの嘘でもいい。曖昧な不確かな嘘か事実かも分からないことに救われて生きている。

 毎日のようにめそめそしては 泣いても何も変わらないのだと気づく。泣いて過呼吸になったってそれは精神的な問題だから死なない、安心しろとインターネットに書いてあった。泣いたって何も解決しない。死ねないのなら次どうするか考えなければならない。「今 死ぬとして現状に満足しているか?」と問われて、「満足と言うよりかはもういいか(悟り)」の気持ちが大きい。得体の知れない痛みから逃れたい。「社会の役にたちたいと思わないか?」と問われて「こんな社会の役に立つことよりかは、社会に殺されかけている人を救いたい」と願う。この人と話してていいのか分からない。ただ、分かったことがある。私は心の底から人を憎んでいるが同時に人が好きであるということ。

 されて嫌なことはしない。自分があぁだったらいいのに、こうだったらいいのに、と思うのだからそれに従って生きていきたい。泣いている人がいたら「大丈夫だよ」って抱きしめたい。ひとりで泣くのはくるしいから くるしいことを知っている私だからこそできることがあると信じていたい。

嘘。本当は早く誰かに救われたくてそれを願っているだけ。