おかね

あったら幸せだよね。自由に使っている人たちはとても魅力的にみえるよね。好きなものを身につけて、食べたいと思えるものを食べて、好きなヒーローに会いに行くんだって。とってもキラキラしているし、幸せそうで羨ましいな、なんて思う。

 

お金、おかね。

ないというか、ここで使ってしまったらしわ寄せがきっと遠くない未来にくるんだろうなって悟るから、給料日前も、給料たくさんもらえなかった月も豆乳や牛乳を水で薄めてコーヒー牛乳とか作って飲んでいる。気持ちが荒むと、同じ教室にいる学校で売っているパンを毎日かじっている子や、ドクターマーチンのブーツを履いている子に対して、あの人は何の努力をして美味しいものやかっこいいものを手に入れているのだろうなんて考えてしまう。よくない。

誰かが幸せな思いをしている分、誰かが不幸になるんだってお母さんはよく言う。とてもマイナス思考で好きでない言葉なんだけど、私が学校に通えているのはどう考えてもお母さんとお父さんのおかげなんだなあ。大抵の同級生も大人が見えないところで一生懸命働いているから当たり前を過ごせているんだよね、。裕福とか貧乏とかあって、うちは裕福ではないんだろうなあと思うけど私は幸せ者なんだな。自分で働くから社会的な勉強ができるし、大人の凄さとかありがたさがわかる。でも、もうどうしようもなく申し訳なくなる。何も考えないほうがたぶん楽で生きやすいのだろうけれど、人としての醍醐味を満遍なく惜しみなく使っていくぞ。

 

 

 

 

 

前に、ニュースで学費を稼ぐために水商売をしている女子大生が増えていると放送されていた。友人はこう言った。「そんなことをして稼いだお金なんて身にならない」って。お金がなくて困っていてそうしてまで働いている同じ年の女の子たちをその言葉は殺すんだろうなあ。殺すんだろうなあ。一刀両断だなあって思った。心の中で反論したけど、声に出なかった。そんなことないよ。身にならなくないからね、努力の一つの形だよね、いいこと、わるいこと、断片的になんて見ないで。善悪の判断は大切だけれどそれはあなたのものさしで測って決めていい。

生きることを諦めなければ負けじゃない。