さよなら三角、またこなくとも


Netflix火花お題「夢と挫折」

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このpostの補足みたいな感じです。読まなくても読めるけれど

irusuu.hatenablog.com

 

 

20160724

地元の吹奏楽コンクール地区予選を見に行ってきた。妹の演奏を見に行く目的だった。顧問の先生のくじ運が悪く、一番の演奏だった。父が遅刻大魔神の私のためにあらかじめ始まる一時間前に出発を予告してくれていたが、案の定、演奏10分前に着席した。(本当は30分前についてるはずだった。)妹が出るのは中学校小編成の部。都心ではないが二つの地区が集まっての大会だった。

大会で一番だと県大会に行けないというジンクスを聞いたことがあった。ジンクス云々関係なく、妹たちの演奏は下手だった。ああすればいいのに、こうすればいいのに、と母と言い合ったが、客観していうことと主観で行動できることは違う。

客観する側になってようやく私は、自分や後輩の練習に全力を注いだが、副部長という役割に周りの部員にビビって全力でできなかったんだと自己分析できるようになった。 

最後までは見れなかったが、午前の部に中学一年生の時の顧問の先生が指揮を振っていらっしゃった。この先生はハチャメチャに厳しく熱心な先生だった。音楽に向かう姿勢が誰よりも熱かった。当時はとてもとてもとてもとてもとても怖かった。でも、中学一年の時が一番辛く厳しい環境だったので、このあと出会う先生方は怖くなかったし、居残り練習や、休日の練習を厳しいと思ったことがなかった。中学一年生の時の成績は県大会金賞だった。私の最初の大会が一番好成績だった。

このあと私は中高合わせて六年間吹奏楽と、クラリネットと過ごしていく。中学2年までは県大会にいったのに、自分が最後の年、震災で練習環境が悪くなり、銅賞でくやしくてくやしかった。高校で、どうしても、県大会に行くという夢を諦めらず、続ける。冒頭にあるお題の通り、挫折、なので達成できなかったのですけれど.

楽器の練習時間が長かったのか腱鞘炎になった。普段は平気だが、重いものを持つと今でも痛むときがある。この痛みに伴ってちょっと辛くなる。

 

先生の中学の自由曲は「喜歌劇サーカスの女王セレクション」だった。わたしが一年の時に演奏した「喜歌劇伯爵夫人マリツァセレクション」を作曲した人と同じだった。コンプリートしていくのだろうか。とても綺麗で迫力のある演奏だった。人数も多いが、一人一人どこでどんな音を出すのか、合わせなければならないのかわかりやすい指揮だった。演奏は素敵だったが、終わったあと、お辞儀をする前の先生は腑に落ちないような表情をしていた。横に座っていた太っちょのおじさまは興奮しながら目一杯拍手をしていたのに。

私が二年生になる年の2月に決めて練習していた曲も同じカールマン作曲だった。中学二年生の時移動されたが、練習に一度だけ足運んでくださって指導していただいたことがある。とても吹きやすかった。

先生はひたすら上を目指している。いつも見せてくださったdvdは全国大会の映像だった。見ているもの、目指しているところが一番遠い。でも、それを信じて止まず、高いところを届くまで時間をつぎ込む。あってもあっても足りないというように。

私は、一番最初の一年で尊敬できる先生、先輩に出会えて、この方々のおかげで見られないようなステージの上を見るかとができて、失ったあとも明確な目標が持てたまま六年間吹奏楽ができたのだと思う。それ以外にもたくさん支えられてきたけれど、大きな目標を持つことは悪くない。それを叶える術を冷静に積んでいかねばならないと思った。

 

もうここに吹奏楽をできる環境はない。

後悔ばかりで後ろ向きな気持ちばっかりあったが、六年頑張れた、ということを認めてこれからもあの姿勢を、もう後悔がなくなるくらいに、今の大学でできることをやっていこうと思えた。

 

これからを良く捉えられるように、 

 

 

 

 

 

なっが。

いっつものおセンチメンタルブログじゃなくなっちまった、、